第17回

1999年9月3日(木曜日)はニジェール

目次

 


国のあらましと地図
自然/歴史
産業・経済
モノがつなぐアフリカと日本
いろいろ情報

独立−1960年
国名−
ニジェール共和国
面積−
127万
平方キロメートル

人口−915万人(1995)
首都−ニアメ
(人口39万人−88

住民−
ハウサ、ソンガイ、ジェルマ、フルベ、トゥアレグほか

言語−
フランス語(公用語)ハウサ語、ソンガイ語、ジェルマ語、フルデ(フルベ)語、トゥアレグ語 ほか

宗教−イスラム教、伝統宗教

自然

国土の3分の2はサハラ砂漠。
中央から北に標高約800メートルのアイル山地がのびています。
国名と同じニジェール川が南西部を流れます。南部はラテライトの台地。

歴史

サハラ砂漠を縦断する
隊商の基地
9世紀ごろ、ソンガイ帝国が西部を支配。
砂漠縦断の隊商の基地となり、マラディ、ジンデルなどの町が開けました。
10〜11世紀にイスラム教が入ってきます。
フランスが支配 19世紀の末、イギリスとフランスが進出します。
1898年の協定でフランスが支配。
1922年、フランス領西アフリカの一部になります。
独立後、67年〜74年
サヘル干ばつで大きな被害
1958年、フランス共同体内の自治共和国となり、
60年に完全独立。ディオリ大統領の進歩党が一党支配。
67年〜74年のサヘル干ばつでは最大の被害国となります。
74年、クーデターで軍事政権が成立。
90年代
民主化要求とクーデター
89年に新憲法が成立して、選挙で民政移管。
90年から民主化を要求するデモやスト。複数政党制の導入を決定。
93年、総選挙。自治を求めるトゥアレグとの武力衝突が深刻となります。
95年、野党が勝利。
96年、軍が政権を奪取して、マイナサラ参謀長が大統領に就任します。
99年4月、マイナサラ大統領暗殺。

産業・経済

1971年に始まったウランの生産で、70年代の国内総生産(GDP)は10%近い成長率となりました。
80年代は国際価格が下がって落ち込みます。
ウランの産出量は世界第3位(1996)

農業は、食糧としてミレット、モロコシなどを生産し、輸出用に、ラッカセイ、綿花などを栽培。
干ばつ時には、牧畜業とともに被害を受けました。

貿易は主にベナンのコトヌー港経由。ベナンのバラクからニアメまで鉄道の延長計画があります。

モノがつなぐアフリカと日本
[ウランの話]

ニジェール

日本

日本にはほとんどないウラン資源を安定して得るために、動力炉・核燃料開発事業団(動燃)が、海外のウラン資源の探鉱を行なっています。

ニジェールでは、動燃がナッシリで、民間企業がアニールで調査探鉱活動。
また、アクータでは民間企業が生産中です。

製練・転換
ウランの鉱石を気体のウラン化合物にします。

濃縮
ウランの濃度を高めます。
そのうち、遠心分離法は、軽いウランと重いウランのわずかな差を利用して遠心力により分けます。濃縮工場は人形峠と青森県六ヶ所村にあります。

再転換、成型・加工
化学処理して粉末のウランにし、焼き固めます。
これを燃料集合体に組み立てて、
原子力発電所の燃料とします。

発電
世界の原子力発電炉の80%以上が軽水炉です。
軽水炉には、2つのタイプがあります。
原子炉内の水を直接沸騰させて蒸気を作り
タービンに送って発電機をまわす方法。
そして、水に高い圧力をかけ、高温・高圧にし、
蒸気発生器で別の系統を流れる水に熱を伝えて蒸気を作り、タービンに送って発電する方式。
日本では約40基が稼働中。

この項の参考資料: どうねん ホームページ

主な参考資料
『アフリカを知る事典』(平凡社)『データ オブ ワールド 1998年版』(二宮書店)

いろいろ情報

○中央にあるアガデスは交易の中心地。ラクダ、そしてトラックの隊商(キャラバン)が運んでくるモノが集まります。

ニジェールの切手

 

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