第16回

7月9日(木曜日)はベナン

目次

 


国のあらましと地図
自然/歴史
産業・経済
いろいろ情報

独立−1960年
国名−ベナン共和国
面積−11万平方キロメートル

人口−556万人(1995)
首都−ポルトノボ(人口18万人−92

住民−フォン、アジャ、バリバ、ヨルバ ほか
言語−フランス語、フォン語、アジャ語、バリバ語、ヨルバ語 ほか

宗教−伝統宗教、キリスト教、イスラム教

自然

ギニア湾岸には潟があり、マングローブが茂ります。
北部では乾季にサハラ砂漠から乾燥した熱風、ハルマッタンが吹きます。

歴史

「奴隷海岸」
とダホメー王国
17〜18世紀にかけ、奴隷貿易の基地が築かれていたことから、ヨーロッパ人は「奴隷海岸」と呼んでいました。
17世紀に建設されたダホメー王国は、奴隷貿易を独占するために周辺の国を征服。奴隷を売って火器を手に入れ、それを利用していき強大となります。
後にパーム油の生産と輸出が基盤になります。
フランスの
植民地に
1894年、フランス軍に敗北します。南東にあるポルト・ノボ王国と共に、フランスの植民地化。1904年、フランス領西アフリカに編入されます。
南部を中心にして教育が普及し、「アフリカのカルティエ・ラタン」と呼ばれます。
独立時は
「ダホメー共和国」
60年、ダホメー共和国として独立。
植民地時代の南北格差などから、政権争いが絶えませんでした。
72年、クーデターで政権をとったケレクは、隣国ナイジェリアにかつて栄えた王国の名から「ベナン」と75年に国名を変えます。
マルクス・レーニン主義の単一政党を結成しましたが、89年に放棄。
90年に複数政党制、大統領の直接選挙制の新憲法が承認されます。
世界銀行勤務の
経験のある大統領から
91年の選挙で、世界銀行に勤務した経験のあるソグロ氏がケレクを破って就任。
96年の大統領選では、決戦投票の結果、ケレク氏が当選しました。

ダホメー王国のアップリケの壁飾り。
絵柄は歴代の王にまつわる故事を物語っています。

『世界の博物館22 国立民族博物館』(講談社)
掲載写真から

産業・経済

基盤は農業。主な産品は、南部はキャッサバ、とうもろこし、中・北部はシコクビエ、ヤムイモなど。
綿は主な輸出品のひとつ。沿岸にはアブラヤシ林が広がります。

工業、運輸部門も盛んになってきました。
工業は1次産品の加工が主で、コプラ、パーム油、カシューナッツなど。コトヌー港は海上輸送の拠点です。
96年2月から第3次構造調整計画を実施。経済は回復しつつあります。

電力は、かつてはガーナから輸入していましたが、88年からほぼ自給。

主な参考資料
『アフリカを知る事典』(平凡社)『データ オブ ワールド 1998年版』(二宮書店)

いろいろ情報

○Yahooで探したベナンのホームページ(英語)です。言葉が充実しています。
http://www.sil.org/ethnologue/countries/Beni.html


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