第15回
1998年7月2日(木曜日)はソマリア
目次
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独立−1960年 国名−ソマリア民主共和国 面積−64万平方キロメートル 人口−925万人(1995) 住民−ソマリ 宗教−イスラム教 |
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自然
インド洋に面しているが降水に恵まれず、半砂漠におおわれています。 ジュバ川とシェベリ川の以外の河川は、雨季以外には水が流れない小さい川です。 |
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歴史
「もつ薬と乳香の国」でした | 紀元前15世紀ごろからエジプトなどに産地として知られています。 |
北部はイギリス、南部はイタリア領に |
1887年、対岸にあるアラビア半島のアデンをインド航路の中継地としたイギリスが北部を保護領。 1908年、南部をイタリアが保護領とします。 1898年から21年間、サイイド・ムハンマドの指導で抵抗運動が続きます。 |
ソマリの住む地域の 統合と独立を めざして |
1960年6月に北部のイギリス領ソマリランドが独立。 7月、南部のイタリア信託統治領ソマリランドが独立し、合併してソマリア共和国となりました。 ソマリが住む他国の領土を奪おうとして、しばしば軍事衝突。 アメリカの軍事的支援を得ていたエチオピアに対抗するため、ソ連の援助を導入します。 69年、シェルマルケ大統領暗殺。クーデターでシアド・バレを議長とする最高革命評議会が政権を握ります(80年に大統領に就任)。 |
91年からの内戦で飢餓が発生し 多国籍軍が派遣されました |
88年から、北部でソマリ国民運動(SNM)との戦闘が激しくなりました。 89年7月、首都で暴動発生。 91年1月、統一ソマリア会議(USC)が首都を制圧し、アリ・マハディ・モハメッド氏が暫定大統領に就任。バレは首都を追われました。 全国的に内戦状態になります。 6月、北部は「ソマリランド共和国」として、独立を宣言 その後、USCがモハメッド派とアイディード将軍派に分裂して内戦が激しくなります。 94年3月、紛争当事者間による和平合意が成立しましたが、戦闘は続きます。 |
国連軍撤退後の 動き |
95年3月、アディード将軍とその有力なメンバーだったアリ・アトが分裂。 アト派とモハメッド派などが協力関係。これにアイディード将軍派が宣戦布告。 96年8月、流れ弾にあたりモガディシュの病院に入院していたアイディード将軍が死去。あとを、米国の海軍出身の息子、フセイン・アイディードが継ぎます。 97年12月、内戦終結へアト派とアイディード派が調印。エジプトでモハメッド派とアイディード派が和平基本合意文書に調印。 3月、モハメド派とフセイン・アイディード派の支配と、2つにかれていた首都の行政(空港、港を含む)を単一の組織で行なうことに合意します。 |
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産業・経済
遊牧民が約7割を占め、らくだの頭数は世界1位。 バナナ、家畜、皮革をサウジアラビア、アラブ首長国連邦、イタリアに輸出しています(91年)。 91年の主な輸入品は原油、肥料、食料で、 経済協力については、主要な援助国(1994年)は、 右は首都モガディシュで(1986年) |
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交通
内戦前はソマリア航空とケニア航空が首都モガディシュに乗り入れていました。 植民地となっていた1919年からモガディシュから来たのジョウハルにある砂糖工場まで90km、メルカのバナナ農園まで110kmの鉄道が走っていましたが、独立後撤去されました。 |
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通信
かつて全国的に電話がつながっていました。完全に停止し、国内では使えませんが、通信衛星により外国とは通話ができます。また、無線を使えば、電話局に連絡して、そこから外国につないでもらうという方法もとれます。 以前は、私書箱による郵便制度がありました。96年の時点では、国内の各地で活動している国際赤十字のスタッフに託すことが一般に行なわれていました。 |
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通貨と銀行
96年9月の時点で、1ドルは7000ソマリア・シリング(10年前は1ドル=80ソマリア・シリング=200円)。 91年の内戦前まで、中央銀行と商業銀行がありましたが、機能していません。 この6年間、紙幣は印刷されず、内戦により多くの紙幣が灰になりました。代わりに登場するのがニセ札。 |
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教育
内戦前は、初等4年、中等4年、高等教育を4年間受けた後、4年制大学か2年制の専門学校に進む制度がありました。1校あった国立大学での講義はイタリア語で行なわれていました。 91年に完全に壊れ、小学校から立て直しています。 |
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祝日・休日1991年以前
6月25日 | 北部(旧イギリス領ソマリランド)の独立記念日 |
7月 1日 | 独立記念日− 南部が独立して北部とソマリア共和国を形成 |
*アラビア暦によるので毎年変わる祝日 | |
ラマダン明け | 太陽が昇っている間は食事をしない1か月が明けた日 |
巡礼の日 | |
モハメッド 生誕の日 |
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料理の作り方
<ソマリ・ライス>
材料 たまねぎ、トマト、肉(らくだ、牛、ひつじ、やぎのうち1種類)、米。 塩、食料油またはギー(牛などの乳から作るバターを溶かしてこしたもの)。 作り方 普通、ソマリは手を使って食べるので、食事の前に忘れずに手を洗います。飲むのは水かミルク。 ケニア国境に近い、アフマドに住むバシール家のレシピから 献立はウガリとご飯が多く、特別の日にはスパゲティを食べます。 |
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4つの表現だけのソマリ語レッスン
おはよう | スバハワナ−クサン |
おいしい・いい | フィアン |
ありがとう | マハッツェニ |
さようなら | ナバト・ゲリオ |
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主な参考資料
『アフリカを知る事典』(平凡社)『データ
オブ ワールド 1998年版』(二宮書店)
『AEF通信』(1996年6月〜97年1月)『アフリカ・ニュース1月〜3月』(アフリカ日本協議会)
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いろいろ情報
○『アフリカNOW 34号』(1998年2月・アフリカ日本協議会発行)にナイロビ在住の荻ノ迫善六氏による「1997年9月に見た
ソマリアの状況」が掲載されています。北部と南部に分断された首都モガディシュの様子と、北西部ゲドー郡での調査がまとめられています。
Eメール PXC06143@niftyserve.or.jp
第14回<コンゴ民主共和国>の記載内容についてのお詫び
○目次にあげた「1996年秋〜97年5月」は都合により掲載しませんでした。
『アフリカNOW 30号』(1997年10月)にフォト・ジャーナリストの村田信一氏による「わたしの見たキンシャサ−ザイール崩壊の日−」の記事とともに、地図入りで「首都制圧までのADFLの動き」が掲載されていますので、関心のある方はご覧になってください。
○「産業・経済」に添えたイラストのサイズを26日夜に変更しました。それまでアクセスしてくださった方には、大きすぎてご迷惑をかけ申しわけありません。