第14回
1998年6月25日(木曜日)はコンゴ民主共和国(旧ザイール)
目次
国のあらましと地図 |
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独立−1960年 国名−コンゴ民主共和国 (旧ザイール共和国) 面積− 235万平方キロメートル 人口−4390万人(1995) 住民−バントゥー系、スーダン系、ナイル系、ハム系、ピグミー 宗教−キリスト教(カトリック・プロテスタント)、伝統宗教、イスラム教、キンバンギズム(メシア的宗教運動) |
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自然
コンゴ盆地の大部分を占めます。その底を中心として熱帯雨林が広がり、外側はサバンナになっています。 東のアフリカ大地溝帯にある国立公園には、数は少なくなってきましたが、ゴリラなどさまざまな動物が住んでいます。 |
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歴史
14世紀にコンゴ王国が成立。その後にやってきたポルトガル人たちと平和に交流していたのが、奴隷貿易が本格的になって変わります。 1878年からベルギー国王レオポルド2世が派遣した探険家、スタンリーが首長たちと約400の保護条約。 1960年、独立。直後にコンゴ動乱が起こりました。カタンガ(現シャバ)州が分離独立宣言をし、ベルギーの軍事介入、国連軍の派遣されました。 90年、複数政党制への移行が発表されます。 96年9月から東部でツチ系武装勢力と政府軍が交戦。 |
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産業・経済
農業は自給作物が主。キャッサバは世界3位です。 アフリカ最大の鉱物資源国。 右は首都キンシャサの町並み |
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この人にとってのコンゴ民主共和国
イギリスの作家[ジョーゼフ・コンラッド]
本名はテオドール・ヨセフ・コンラード・ナレツ・コルジニオウスキー。 1857年、ロシア領になっていたポーランドに生まれました。 62年、父親が独立運動に参加したために流刑となり、5歳の彼は、両親とともにロシア北部に強制移住。 69年、孤児になります。 74年、フランス船の船員に。 90年、パリにあったコンゴ河汽船の船長になります。 「この体験は、事実コンラッドの生涯にとってもっとも重要なモーメントだったらしい。 中野好夫訳『闇の奥』(岩波文庫)あとがき より |
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1ページの旅
のなか悟空 著『アフリカ音楽探検記−民族と大地の野生セッション』
情報センター出版局・1990年
キサンガニからキンシャサまで何で行くかだが、陸路が寸断されているため、一般的にはザイール川を下る客船を利用するしかないらし。 宿の人に聞いても客船は月に二度ほどしか来ないらしいし、その日程も定かではないが、 「MAYBE TOMORROW」だと言う。船会社のオフィスに尋ねても返事は同じだった。 雨の量が多ければ水量が増えて船も早く来れるが、雨が降らなければいつになるかわからないらしい。 いつ来るかわからない客船を待っているわけにもいかない。 そうやって何度か船の様子を見に行っての帰りだった。どこからともなく感性をくすぐる音楽が聞えてきた。 他人が勝手に異宗派に土足で踏み込むことは謹まなければならない。 再びその賛美歌が始まったとき、オイラは雷(いかずち)に打ち倒された大木のように、身体が真っ二つに裂けてブッ倒されてしまいそうだった。その表面を黒く焼いて網のような模様を入れただけのボンゴから発するギトギトにエネルギッシュなリズムが、大きくオイラの頭上にのしかかってきたのだ。 「おお! 見たぞ! BLACK MUSIC≠フ源流を!」 その強烈なリズムは、徐々に悪霊のように人々の肉体にとり憑くと、身体を揺すりステップを踏む動作はさらに激しくなってゆく。オイラはこの熱いリズムの渦の中で、尻尾を巻いて逃げ出してしまおうかとも思った。・・・ 集会が終わったのは12時過ぎ、私は両手を合わせて静かに退出した。 |
著者は1951年、大分生まれ。フリー・ジャズを実践するドラマー。
ナイロビ−キリマンジャロ−マサイの村−ウガンダ
を訪れた後に、旧ザイール(現コンゴ民主共和国)へ。
引用した前の章には、狩猟採集民族ピグミーの住むイツーリの森で体験した「天界音楽」がつづられています。
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主な参考資料
『アフリカを知る事典』(平凡社)『データ
オブ ワールド 1998年版』(二宮書店)
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いろいろ情報
○B,B.モフラン&BITASIKAなどが出演する「アフリカン・ライブ KATIKA show」が8月14日、北とぴあで開催されます。チケットぴあで取り扱っています。