第13回

6月4日(木曜日)はマダガスカル

目次

 

国のあらましと地図
自然/歴史/産業・経済
バニラの話
1ページの旅
文化
いろいろ情報

独立−1960年
国名−マダガスカル共和国
面積−59万平方キロメートル

人口−1476万人(1995)
首都−アンタナナリボ(人口105万人93

住民−メリナ、ベツィミサラカ、ベツィレウ、タンラなど
言語−マダガスカル語、フランス語(公用語)

宗教−キリスト教、イスラム教、伝統宗教

 

自然

世界4位の大きい島。
中央は高地。東側は急斜面で一部に降雨林が残っています。西側はゆるやかで、バオバブが生えるサバンナ。
南西部は半砂漠になります。

キツネザルをはじめとして、大陸から分離した後、独自に進化した動物は関心の的になっています。

歴史

インド洋を越えて
東方から
10世紀ごろまでに、マレー系やインドネシア系の人々が移住してきたといわれています。
キリスト教の新教を
国教に−
その後、
フランスが植民地化
16世紀末からメリナ王国が支配。
1869年、キリスト教の新教が国教になります。
1885年、ベルリン会議でフランスの植民地に。
カトリックの国、フランスの支配に対して、住民はしばしば抵抗をしました。

第2次世界大戦中、植民地政府は親ドイツのビシー政府を支持したため、
1942年、イギリスが占領。
43年、自由フランスに返還しました。
58年、ド・ゴールがフランス共同体構想を打ち出したときに、自治共和国となります。

社会主義から
自由主義へ
60年、独立。
73年、社会主義路線に転換しました。
83年、IMF(国際通貨基金)・世界銀行の支援を受けて、経済の構造調整を開始。

91年、経済悪化などにより、民主化要求のデモが激しくなり、12月に暫定政府が成立。
92年、国民投票で新憲法を承認。自由主義に転換しました。
11月と翌年2月に行なわれた大統領選では、野党のザフィ候補が勝利。
96年、議会の弾劾決議でザフィ大統領は辞任。
11月と12月に大統領選が行なわれ、決戦投票でラチラカ元大統領が当選しました。

産業・経済

牧畜が盛んで、牛の数は「人口なみ」(約1000万頭−96)。
次いで農業です。
主食の米は、東海岸地方では、焼き畑による陸稲耕作でしたが、
中央高地で行なっていた水田水耕作が浸透してきています。
その方法は、天水によるものと水系を利用して行なうもの、棚田と平地の田などさまざまです。
他に農産物としては、バニラ、砂糖、クローブ(丁子)など。

主要な輸出品はコーヒー豆、バニラ、えび(94)。第1の相手国はフランスです。

日本との貿易は、輸出は3位(95)、42億5400万円。
えび、クロム鉱、バニラ、石英など。
輸入は2位(95)、30億9600万円(96)。
貨物・乗用自動車、漁船、ミニバス、自動車部品となっています。

モノがつなぐアフリカと日本
[バニラの話]

バニラはラン科の花

学名はバニラ・プラニフォリア。つる性で淡い黄色の小さな花をつけます。
さや状の果実が香味料の原料になります。

マダガスカルの生産量は世界1位

レ・ユニオン島とコモロ諸島を合わせると世界の9割を占めています。
生産と出荷の中心地は、北東の海岸にあるアンタラハという小さな町です。

野生種はつるが伸び、葉はしげって、ほとんど実がなりません。
栽培する場合は、3年ぐらい自然のままにしておいてから、定期的に剪定するか、またはループをつくって生長を止め、手が届く高さに花がつくようにします。
竹ひごを使い、ひとつひとつ花粉を柱頭につけて人口受粉します。
すぐに緑の豆がなり始めます。
収穫直前になって、泥棒にねらわれないように、生産者はまだ小さいさやに、独自の模様をピンで刺したコルクを押し当てて印をつけます。

バニラのさやは熟成させ、乾燥してから世界各地に出荷されます。

熟して採取したばかりのさやは鮮やかな緑色。芳香はまったくありません。
まず、さやを熱湯に漬けます。水気をきったあと、箱に入れてしっかりとおおい発酵させます。
それを取り出して日光にさらして乾燥させます。毎日交互に約10日間繰り返します。
これによってだんだんと香りが出始めます。

次に数か月間、倉庫の風通しのいい棚に並べられて、熟成と乾燥をさせて仕上げます。
束ねられ、内側に紙を張ったブリキ製の箱に詰められて、出荷されます。

バニラビーンズでアイスクリームの香りづけに。
バニラエキスはデザートのだいじな素材になります。

バニラはさやのまま、それぞれの国に届きます。大部分はバニラエキスに加工されます。

バニラエキスは、切り刻んださやを大きなステンレス製のかごに入れ、アルコールと水の混合液の中に浸します。できあがったエキスは検査を行ない、一定の香りになるようにし、ある期間熟成させてから、びんに詰められて売り出されます。

アイスクリームの香りづけの基本、バニラビーンズは、小さな黒い粒になってみえます。

1ページの旅
山岸 哲 著『マダガスカル自然紀行』
中公新書・1991年

先生は集落の1軒の庭先に車を止めさせ、そこの人と少し話していたが、どんどん森の中へ先に立って入っていく。
私たちは走るようにその後を追った。
下生えをかきわけて昨夜の雨に濡れた森の中を進む。
  ときどき立ち止まっては目的物を捜すが、1時間くらい歩きまわって出会った茶色の鳥といったら、アフリカバンケンだけだった。
一度、ゲラ・ゲラ・ゲラ……と鳴く大きさもスケトベほどの鳥を見たが、双眼鏡で見ると嘴の形がまったく異なるアフリカブッポウソウだった。

再び道路へ戻り反対側の森をさらに1時間くらい捜しまわったものの、お目あてのスケトベは影も形も見られなかった。
樹に巻きつくようにバニラがぶら下がり、小さな花をつけていた。・・・

湿地の中をジョン先生はゴム草履を手にもち、裸足でジャブジャブと進む。
私は用意してきた長靴が威力を発揮して快適だったが、江口さんは膝まで水につかり、ズックを泥だらけにしてがんばっている。

ここでは見込みがなさそうなので、次には山に入ってみることにした。
山に行く前に、先生とピエールさんはサトウキビから作った地酒をコップに2、3杯ホテリでひっかけた。
私たちはコーラの大瓶をラッパで回し飲みして残りを水筒に詰めた。
マナナラの方へ少し戻って渡しを渡り、西方の山手に進む。
こんな山道が舗装されているのは、昨日の国道の悪路と比較して不思議だったが、聞いてみると、植民地時代に香料の原料である丁字(ちょうじ)を運んだ道だそうだ。
途中50頭くらいのゼプ牛を追って、太い竹の両端に荷物をかついだ少年たちとすれ違った。
牛が年老いたのでこれからタマタブまで売りに行くのだという。
牛たちは殺されることを感じとっているのか、車とすれ違うときにもなかなか統制がとれず、
すぐにもと来た方へ回れ右をしてしまうので、牛飼いたちも苦労しているようだった。

車が集落を通るたびに子供たちが飛び出してきて、「サーラー」と口々に叫ぶ。
「新車できれいだなー」と言っていうのだと、ピエールさんが教えてくれる。
地図の上では原生林のはずのところも水田やバナナ園や丁字林になっていて、車を下りてすぐに森に入れるといった場所はまったくない。
途中の集落で車を止めると村人がたくさん集まってくる。
先生は持参したWWF(世界自然保護基金)の出している「マダガスカルの鳥」というポスターを広げては、スケトベはいるかと尋ねてくれる。
その中の情報の一つに、マナナラから西の内陸部へ30キロメートル入ったサンドラカッティーで車を捨て、6キロメートル歩いたところに集落があり、その近くの原生林にいるという。
ようやく元気が出てきた。

文化

マレー系、インドネシア系にアラブ人、アフリカ人が混血していって、文化は多様です。
メリナは中は部屋になっている石作りの立派な墓を作って、祖先を崇拝します。
「森の民−タナラ」はひと部屋だけの簡素な住居の壁や窓、扉にほどこされた幾何学模様の彫刻がみごとなことで知られています。

主な参考資料

『朝日百科 世界の地理』
『アフリカを知る事典』(平凡社)
『データ オブ ワールド 1998年版』(二宮書店)

いろいろ情報

○アフリカの情報収集のためのリンク集と西アフリカをテーマにした情報やエッセイを取り上げるホームページが開設されました。
「地図」といった項目では、専門的なマダガスカルの地図も見ることができます。
http://www02.so-net.ne.jp/~tunghat/

○道祖神ではマダガスカルへいろいろなタイプのツアーを企画しています。
・ダイジェスト[10日間]
・スペシャルツアー サカラバ・ツアー 島の北部を歩く[16日間]
・スペシャルツアー ディディエラ・ツアー 島の南部を歩く[16日間]
・キャンピング[17日間]
・特別企画 地質・鉱物学調査
E-メール info@dososhin.com

○前回は「5月21日(木曜日)はトーゴ」でした。表題に誤りがあったことをお詫びします。

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