第12回

1998年5月22日(木曜日)はトーゴ

目次

 

国のあらましと地図
自然/歴史/産業・経済
ロメ協定
1ページの旅
いろいろ情報

独立−1960年
国名−トーゴ共和国
面積−6万平方キロメートル

人口−414万人(1995)
首都−ロメ(人口45万人90

住民−エウェ、カブレなどの民族、ミナ(ブラジルから帰還した混血民の子孫)
言語−フランス語(公用語)、エウェ語、カブレ語など

宗教−伝統宗教、キリスト教、イスラム教

自然

南北に細長い国土で、ギニア湾に面する海岸線は70km。内陸部は低い山地。
南部は熱帯雨林で、北部はサバンナ気候になっています。

歴史

ドイツ、のちには
フランスとイギリスに
支配された
植民地時代
15世紀にポルトガル人がやってきます。
16世紀に宣教師が布教活動。

ドイツが、1847年に宣教師を、84年に探険家を派遣。
沿岸の首長と保護条約を結ばせます。
85年のベルリン会議で支配を認めさせます。

住民は激しく抵抗しましたが開発は進められ、ドイツのモデル植民地となりました。
1914年、植民地軍は英仏軍に降服。
22年、東部はフランス、西部はイギリスが治める国際連盟の委任統治領になります。
46年に、どちらも国際連合の信託統治領。

イギリス領は
ガーナの一部となり
フランス領が
60年に独立
エウェ人の統一運動が活発になっていきます。
56年、イギリス領の住民投票では、ゴールドコーストとの合体派が勝利し、
57年に独立したガーナの一部となります。

60年、フランス領が独立。
69年、一党制。
93年、複数政党制の大統領選挙。

産業・経済

1960年代に経済が成長しました。
りん鉱石(世界10位)が重要な輸出品です。

農産物には、ヤムイモ(世界5位)、キャッサバ、とうもろこしなど。

主な工業製品にはビール(4520万リットル−87)、パーム油などがあります。

ロメ港は中継ぎ貿易によい位置にあります。
96年、IMF、世界銀行と経済構造調整計画で合意。ロメ港を中核とする自由貿易地域構想を推進。

ロメ協定

1975年、当時のEEC(ヨーロッパ経済共同体)9か国とアフリカ、カリブ海、太平洋地域の46か国(当初)の間で、首都ロメで結ばれた協定。それ以前のヤウンデ協定を受けたものです。

1.EC市場を諸国の産品に対して開放して、輸出を増やせるように図ること。
2.輸出する一次産品の価格が下がって所得が減少した場合、回復するまでの期間に無利子の融資を行なう。
3.工業化を進めるための、資金と技術協力を行なうこと。

市場のメカニズムを生かしながら、自由化や融資を通して開発を図ろうとする意味があります。

1ページの旅
賀曽利隆著『爆走! SAHARA』(2回め)
講談社・1989年

ガーナから、小国トーゴへ。
国境は、ガーナからナイジェリアへ出稼ぎに行くガーナ人で、ごったがえしていた。
人混みをかきわけ、かきわけ、出入国手続きを終え、トーゴに入った。

首都のロメは国境の町でもあるが、小国トーゴにふさわしく、こぢんまりとまとまっている。白亜の建物と、濃い緑がマッチしたきれいな町である。

  トーゴに入ってうれしくなるのは、ビールが安くて、うまいこと。
トーゴは第2次世界大戦以前はドイツ領。
その影響なのだろうか、トーゴにあるビール会社はドイツ系。
この国でつくられる何種かのビールには、前にも述べたが、アフリカ・ナンバー1≠フ折り紙がつけられている。

ギニア湾の浜辺にバーをみつけ、さっそく、冷えたビールを飲む。
大ビン1本が140CFAフラン(約70円)。
ヤシ油で揚げたヤムイモをつまみにしながら、安くてうまいビールを飲んだ。

トーゴから、隣国のベニンに入る。
トーゴは南北に細長い国だが、ベニンも似たような形をしている。
ただし、ベニンのほうが、トーゴよりも、ひとまわり大きい。

主な参考資料

『アフリカを知る事典』(平凡社)
『データ オブ ワールド 1998年版』(二宮書店)
『95−96 ビジュアル・データ』(同朋舎出版)

いろいろ情報

○5月23日(土)11:00〜17:00 と 24日(日)10:30〜17:00
江戸東京博物館(JR両国駅)で、NGOなど80団体が参加して「東京市民フェスタ’98」が開かれます。
アフリカ日本協議会では、ルイボスティーを使ったケーキなどを販売。
23日の18:30から行なわれるコンサートでは、ザイールのB.B.モフランが出演します。

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