第8回

3月12日(木曜日)はチュニジア

目次

国のあらましと地図/自然/歴史

産業・経済/女性

1ページの旅『文明の十字路』

2つの表現だけのアラビア語・フランス語レッスン/いろいろ情報

独立−1956年
国名−チュニジア共和国
面積−16万平方キロメートル

人口−890万人(1995)
首都−チュニス(人口67万人−94)

住民−アラブ人、ベルベル人
言語−アラビア語、フランス語

宗教−イスラム教

自然

北部は温暖な地中海性気候。南部は砂漠。点在する塩水湖は夏は干上がります。

歴史

先史時代にベルベル人が定着。
紀元前9世紀ごろ、中東のテュロスの女王が建設したカルタージュ(カルタゴ)は、地中海貿易で栄えます。
前146年にローマに征服されます。

(カルタゴは破壊され、地中に埋められてしまいました。
コロシアムなどの古代ローマの遺跡が残っています)

その後、バンダル、ビザンティン、アラブ、オスマン帝国が支配。
1883年、フランスが保護領とします。君主(ベイ)は君主としてとどまります。

1956年、独立。57年にベイ制を廃止して、共和国を樹立。ブルギバが初代大統領につきます。
87年に解任されます。
87年以降、イスラム原義主義の声が高まり、政府は警戒を強めています。

教育

教育は無料。6歳から15歳は義務教育。国家予算のうち政府予算の20%以上を教育にあてています。
94年現在、識字率は68.3%、6〜12歳の就学率は91%になっています。
国内に6つの大学。

産業・経済

保護領になって移住してきた、フランス、イタリア人により、ぶどう、オリーブ栽培が発達。
オリーブ油(世界第4位)、ワイン醸造が現在、主な産業のうちに入っています。

鉱業では、石油、天然ガスを産出。りん鉱石は世界5位。工業製品ではりん酸が世界4位、硫酸が5位となっています。

観光資源にも恵まれています。地中海の白い砂浜、砂漠とオアシス、果てしなく広がる塩水湖、そして遺跡−毎年ヨーロッパから多くの観光客が訪れています。

日本への輸出は、パルプ類。
日本からの輸入は、機械類。

製造業への外国からの投資

1000社以上が操業。投資額は総計5億ドル以上。うち9割近くが完全に輸出向けの生産をしています。
繊維・衣料・皮革製品の分野は約700社。従業員数は6万8000人。

リークーパー社はチュニジア進出して、20年を超えます。
10年前、ヨーロッパに7つの工場を持っていましたが、段階的にすべての工場をチュニジアに移しました。
約1000人の従業員が、年400万本のジーンズを生産しています。

英国リー・クーパー社社長は、チュニジアに投資する理由として、
ヨーロッパ連合諸国との密接な関係。外国語が通じやすい。熟練労働者が豊富なこと、をあげています。

他にピエール・カルダン、リーバイス、ベネトンなどが操業しています。

1995年7月EU(欧州連合)と非ヨーロッパ国では最初に、自由貿易協定を締結しました

女性の権利

  フランスからの独立運動で、女性もデモや地下運動に参加。
1956年、個人の地位を規定する法典が制定され、アラブ諸国の中では最も進んだ権利が与えられます。
  一夫多妻制の廃止。
女性の参政権の確立。
教育を受ける権利の保障。
結婚年齢の下限制定と強制的結婚の禁止など

離婚は法的手続きを経ることが義務づけられます。
家族計画教育も着手。

8月13日は女性の日−女性の権利は明白な既得権であることを確認します。
  議員、政府機関の幹部にも女性がいます。
航空技術、医学、化学研究にも進出。
国防軍の兵士、警察官といった仕事も女性に開かれています。

1ページの旅
本田徹文明の十字路
連合出版・1981年

  ハビブ氏は、ジェルバ島の中心地フウムト=スウクの町で大衆酒場を仲間と営む、ずんぐりした、かつて人を裏切ったことのないような眼をした男だ。・・・

ハビブ氏が私と知り合うきっかけとなったのは、彼の娘の病気だ。・・・
以後ハビブ氏は町で私を見かけると彼のバーに引っぱり込んで、無理矢理でもコーラやセルチア(チュニジア国産のビール)を振舞ってくれ、
「シノハワーレク・ヤ・トゥビイブ?」(調子はどうだい、先生)を連発するのだった。

ある夏の夜、私は彼の姪とかの結婚式に招かれた。
  夕刻、約束通り例の酒場に赴くと、ハビブ氏は尻に根の生えた酔漢たちを相手にどなり散らしている。
「今日はこれまでだ。皆な帰んな」
やがて私はおんぼろオートバイの後に乗せられ、5−6キロ離れたメリタ村の彼の家に連れて行かれた。・・・

結婚式のハイライトは何と言っても、夜空が白むまで続けられる歌と踊りの集いだろう。大抵それは農家の広い中庭で行われる。
女・子供の並ぶ席、主人や客など男衆の座る席、楽隊やコーラスの占める場所、そして踊り場と、おのおのが画然と分けられている。

女や子供たちは、この祭の主たる見物人であると同時に、囃子方(はやしかた)としての重要な役割を任されている。手拍子をとり、時に掌を口に当てて高音の断続的な叫び声を上げる。
それは、「ユー、ユー、ユー、ユー・・・・・・」という実にこの世ならぬ響きをしていて、祭の高揚感を醸し出すのになくてはならない働きをする。
既婚婦人はほとんど皆、白の綿布で顔や上半身をすっぽり被っているので、夜目には何か漆喰で塗り固めた塑像群が並んでいるような印象を受けたものだ。・・・

夜も更けた。
ハビブ氏はすっかり酔っていたので、家人に辞去した後、私は彼の隣人のハッサン氏の運転する「骨董的プジョー」に身をゆだね、わが家まで送ってもらった。
庭から空を見上げると天の川が雄大にかかり、白鳥座がひたひたと翼をひろげている。

著者は1947年生まれ。77年から2年間、青年海外協力隊員としてチュニジア・ジェルバ地方病院で働きました。
現在、堀切中央病院院長、シェア=国際保健協力市民の会代表。

2つの表現だけのアラビア語とフランス語レッスン

おはよう サバーフ ルハイル ボンジュール
→(それにこたえて) サバーフ ンヌール  
ありがとう シュクラン メルスィ

いろいろ情報

○北部に集中して、約100か所の温泉があります。カルタゴの時代から湯治が行なわれ、さまざまな効能があるといわれてきました。

○夏の猛暑や冬の寒さを避けるため、ベルベル人は地面に大きな穴を掘って生活しました。地下住居のホテルがあります。

来週は休み、次回は3月26日に発信する予定です

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