第7回

1998年3月5日(木曜日)はモロッコ

目次

国のあらましと地図/自然/歴史

「領土」をめぐる97年の動き

産業/経済/モノがつなぐアフリカと日本

見た・写した・モロッコ

いろいろ情報

独立−1956年
国名−モロッコ王国
面積−45万平方キロメートル

人口−2711万人(1995)
首都−ラバト(人口122万人−93

住民−アラブ人、ベルベル人
言語−アラビア語、フランス語、ベルベル語

宗教−イスラム教

自然

中央を走るアトラス山脈の最高点では4000メートルを超え、スキーができます。
北部と西部の海岸平野は地中海性の恵まれた気候。南部は乾燥気候。

歴史

ベルベルが定着していた地を、アラブ・イスラム軍が征服し、アラブ化が始まります。
11世紀に起こったムラービト朝はイベリア半島まで勢力を伸ばしました。
オスマン帝国の支配下には入らず、
ヨーロッパの進出に対しても、16世紀以降、王朝は鎖国体制を守っていました。
19世紀になって不平等な通商条約をイギリス、フランス、スペインと結ぶことになりました。

1912年、フランスの保護領となります。北部はスペインが支配。
民族運動がおこり、それを押さえるために、53年、フランスはスルタンを廃位して流刑。
反対に運動は盛り上がったために、55年に復位と独立を認めました。
56年に独立。

61年、ハッサン2世が即位。62年に立憲君主制。
不安定な王政を守る政策のひとつとして、75年、スペイン領西サハラへ約35万人を動員し大行進を強行しました。76年、モーリタニアと西サハラを分割して領有。
独立を求める解放戦線(ポリサリオ)との争いのため、砂の防御壁を築きます。

ポリサリオ戦線が樹立したサハラ・アラブ民主共和国の加盟をアフリカ統一機構(OAU)が認めたことから、脱退。
89年、アルジェリア・チュニジア・モーリタニア・リビア・モロッコで結成するアラブ・マグレブ連合に加盟。
91年にポリサリオ戦線と停戦。国連西サハラ住民投票監視団(MINURSO)が発足しました。

「領土」をめぐる97年の動き

アフリカ大陸の側でジブラルタル海峡に面しているセウタと、地中海岸のメリリャはスペインの領土です。
(ヨーロッパ側のジブラルタルはイギリスの直轄植民地。スペインは領有権を主張しています)

地方議会選を控えた5月末、モロッコの社会主義政党の機関誌は、両市の回復を訴える特集記事を掲載。
6月に入り、スペイン政府は、メリリャでの移民官制強化を目的に警察官80名を新たに派遣しました。
人口約6万人のメリリャ市に、モロッコ人だけで毎日1万2000人の移民予備軍が到着するそうです。

『西サハラキャンペーン便り』<スペインの報道から>から

進展がみられなかった西サハラとの和平案について、アナン国連事務総長が元アメリカ合衆国国務長官、ベーカー氏を特使に任命。9月、1年以内に住民投票を実施することで当事者の最合意がなりました。

『アフリカNOW32号』から

産業・経済

りん鉱石の埋蔵量は世界1位(産出は3位)、コバルト鉱(産出7位)、鉛鉱(9位)など豊富です。
(西サハラにもりん鉱石の世界有数の鉱山があります)

鉱業とともに農業も主要な産業。
小麦、大麦といった穀類のほか、オリーブ(世界6位)、オレンジ類(輸出では世界3位)を産します。
水産資源も豊か。カサブランカなどで水産加工が行なわれています。

主な工業製品には、りん酸肥料やオリーブ油(7位)。
イスラム教が国教ですが、ぶどう酒、ビールの生産されています。

マラケシュ、フェズといった街、カスバ、砂漠といったさまざまな魅力のある観光も重要です。
また、海外の出稼ぎ労働者からの送金も外貨の獲得源になっています。

西サハラ紛争での軍事費増大、干ばつなどで経済は厳しい状況です。

カサブランカ(294万人)をはじめ、マラケシュ、フェス、メクネス、ウジダ、タンジールといった30万人以上の都市のほか、10万人以上が8市あり、都市人口率は50%を超えています。

モノがつなぐアフリカと日本

輸出相手国では、日本はフランス、スペインに次いで3位。4.1億ドル。
たこが約70%、いかが20%、そしてりん鉱石−りん酸肥料の原料、野菜となっています。

りん酸肥料
生産では、モロッコは91万トン(2.8%)で世界6位(窒素肥料も28万トン)
消費の方は、日本は71万トン(2.4%)で世界7位(カリ肥料が49万トン)

日本からの輸入はトラック、乗用車など。

見た・写したモロッコ

アトラスの山中

ベルベル人の家を訪れて

撮影 飯田敏明

いろいろ情報

○「道祖神の『モロッコ・サハラ・アドベンチャー[12日間]』はマラケシュを中心にして、南部のサハラ砂漠のオアシスとカスバをめぐります」 詳しくはE−メール ttgtyofk@blue.ocn.ne.jp

○「カサブランカからマラケシュまで鉄道で向かったとき、前に乗ったことのあるようなコンパートメント(個室)だな、と思ったら、フランスと同じマークが入ってました」と東京のSさんから。

○「ラバトで『銭湯がある』というので行ってみました。サウナのようにムンムンする部屋でお湯を浴びるのです。その際に下着は着たままです」と東京のNさん。

「木曜日はアフリカ」ホームに戻る