第5回

1998年2月19日(木曜日)はリビア

目次

国のあらましと地図/自然/砂漠について
歴史/教育/産業・経済/日本との貿易
1ページの旅『サハラ縦走』/3つの表現だけのアラビア語レッスン/いろいろ情報

独立−1951年
国名−社会主義人民リビア・アラブ国
面積−176万平方キロメートル

人口−541万人(1995)
首都−トリポリ(人口86万人−81)

住民−アラブ人 ベルベル人
言語−アラビア語、ベルベル語

宗教−イスラム教

自然

国土の90パーセントが岩と砂の、サハラ砂漠とリビア砂漠。
気候は乾燥していますが、地中海岸の平野と丘陵は雨量に恵まれています。

砂漠について

「砂漠に草は生えない。だが、砂漠はあらゆる価値を生みだし、永遠なる文明への啓示を広める。
いつの時代にも、歴史は砂漠が崇高なる人知を育む肥沃な土壌であることを証明した。
しかし・・・砂漠の何を語ろうとしているのか?

偉大なるオリエントの砂漠、天来のインスピレーションが降りた地、太古からの文明の源・・・。

今日、まさにその偉大なる砂漠は・・・さらに限定するなら、アラブの、アラブ・ベルベル族の、アラブ・トワレグ族の、タボー族の、故国である砂漠は、今、ジャマヒリヤの時代の基盤にならんとしている」

セブハで開かれた全体人民会議臨時総会でのカダフィ大佐の言葉より

歴史

古代、フェニキア人やギリシア人が植民都市を築きました。
7世紀にアラブ人が進出。
9世紀以降、北アフリカとサハラ砂漠の南を結ぶ隊商交易で、始点や中継点の町が繁栄。
16世紀、オスマン・トルコ帝国が支配。19世紀、イスラム教のサヌーシー派の改革運動が始まりました。

1912年、イタリアが植民地化。第2次世界大戦中、イギリスとフランスが支配。
51年、サヌーシー派のイドーリスを国王として独立。

60年代に石油が発見されますが、王制にとっての経済的な基盤となるだけでした。
69年、カダフィらのクーデターで共和制となります。
70年、イギリスとアメリカの軍事基地の即時完全撤退を求め、外国石油企業の国有化を始めます。
(英国石油、シェル、テキサコなどを100パーセント、エクソン、モービルなどを51パーセント国有化)
71年、一党支配体制。
73年、「第3の普遍理論」(「緑の書」)という独特の解放理論、イスラム社会主義を打ち出します。

83年、チャド内戦に介入、北部山岳地帯を占拠(94年に撤退)
チャドの解放戦線支援などを警戒したアメリカは、81年にリビア機を撃墜して対決していき、86年にリビアを爆撃。
88年、アメリカのパンナム機が爆破された事件の容疑者の引き渡しを拒否したことから、
92年、国連が制裁措置をとります。

教育

小学校から大学まで無償教育。
6歳から15歳まで義務教育。小学校(6〜12歳)−予備学校(中学校にあたります。12〜15歳)

産業・経済

原油の埋蔵量は、世界9位(アフリカでは1位)。ひとりあたりの国民所得はアフリカで最高です。

食料の75%は輸入に頼っていますが、「輸入食糧に頼る国に独立はない」と
「砂漠に緑を、食糧の自給を」めざして緑色計画を進めています。
植林が重要な部分で、各種のヤシの木を主に、果樹類を植えています。

84年には、ヨーロッパと韓国の企業が技術提供をして「人造河川計画」が始まりました。
サハラ砂漠の地下水を沿岸部に運び、工業、農業に利用するという計画です。
かんがい用水を引けるような河川はなく、革命以前は農地が国土の8%以上に達したことはありませんでした。
現在は、耕地が1.2%、牧場と牧草地が7.6%(94)
小麦、大麦、野菜、果樹を栽培し、羊、らくだ、やぎ、牛を産しています。

石油精製、石油化学、化学肥料、アルミニウム精練などに投資しています。

主な国への原油輸出量は、イタリア(2460万トン)、ドイツ(1172)、フランス(211)、イギリス(181)。
アメリカ、日本はゼロです(94)

60年代から都市化が進み、トリポリとベンガジに人口が集中しています。都市人口率は76%。

日本との貿易

 

1977

1980

1986

1988

1996

日本の輸出

747億6000万円

1188億7900万円

339億2900万円

779億0800万円

150億0600万円

日本の輸入

297億6200万円

809億6300万円

15億0700万円

7億0700万円

600万円

86年−リビアからの輸入額は原油の買い付けの激減に伴って減少しています。輸出は自動車が主。
96年−リビアへの輸出は、自動車が33.9%、コックと弁類、鉄鋼、内燃機関、タイヤとチューブ。

1ページの旅
野町和嘉著『サハラ縦走』岩波書店

「今日これから飲みに行くからぜひ一緒に行こうではないか」
私は砂漠の太陽に焼かれて弱っている自分の身体に、得体の知れないアルコールを流し込むことに躊躇したが、このサハラ奥地にどんな密造酒があるのか、味もさることながら彼らのひそやかな楽しみ≠ノ興味をそそられ、同行するはめになってしまった。

彼らは喜々として出発した。真夏の午下りのクソ暑い中をランドクルーザーで、砂丘越えの酒盛り行。しかもメンバーは警官と獣医、それに獣医の運転手と私たち夫婦というおかしな組合せだ。ひっそりとした砂地を十分も走ったであろうか、小さな集落のヤシの葉陰の藁葺き小屋に一行は到着した。そこはある黒人農夫の家だった。リビアは大半がアラブ人であるが、このフェザン奥地の原住民は肌の黒いトゥーブ族である。しばらく待たされた後、人の良さそうなトゥーブの小男が小さな容器をかかえて入ってきた。

彼らはその液体をビールと称していたが、味はビールの持つ清涼感とはおよそ程遠い。白濁した日本のドブロクに似た飲物だった。勧められるままにこの生ぬるい液体を一口流し込んで私は恐れをなしてしまった。この暑さの中で良い酒ができるわけがない。酒は俗にいう火の入った¥態で酸味がやたらと強く、飲めたシロモノではないのだ。

彼らは、というとそんな事にはまったくおかまいなしに久々にありついたこの得体の知れない白濁した液体を、汗をふきながら杯を重ねている。クァサブというアワに似た穀物を発酵させてつくったものらしい。そこで日本での酒の造り方をひとくさり講義する。彼らは異様な熱心さで聞き入っていたが、この国では麹(こうじ)≠ェ手に入らないと知ると皆一様に落胆していた。

今この国では豊かな石油資源をもとにあらゆる物資があふれている。他のサハラ圏では見られない繁栄ぶりである。その資本力をバックに進めているアラブ化(イスラム化)政策と、飲酒が真向からぶつかる以上欲望を押さえきれない連中は、アンダーグランドでひそやかに楽しむ以外に方法はにのだ。

著者は写真家。サハラ砂漠、ナイル川、中国、アフリカ大地溝帯などを取材して、写真集や展覧会で発表。

3つの表現だけのアラビア語レッスン

おはよう サバーフ ルハイル
(それに答えて) サバーフ ンヌール
こんばんは マサーウ ルハイル
(それに答えて) マサーウ ンヌール
おやすみ トゥスビフ アラー ハイル
(それに答えて) ワアンタ ミン アハリル ハイル

『超やさしいアラビア語入門』南雲堂フェニックス

主な参考資料
『ジャマヒリヤ 緑の躍進−リビアご紹介』(リビア・アラブ社会主義人民ジャマヒリヤ在日大使館広報室)
『アフリカを知る事典』(平凡社)『データ オブ ザ ワールド 1998年版』(二宮書店)

いろいろ情報

緑の書はジェトロ・ライブラリーで読むことができます。東京・虎ノ門にある共同通信会館6階。

[木曜日はアフリカ」ホームに戻る