第3回

1998年2月5日(木曜日)は南アフリカ

目次

国のあらまし/地図/自然/歴史/産業・経済
1ページの旅「ペンギン]/わたしのすすめるこの3冊/日本のNGOの活動/
2つだけの3言語レッスン/いろいろ情報

成立(連邦)−1910年
国名−南アフリカ共和国
面積−122万平方キロメートル

人口−4124万人(1995)
首都−プレトリア(人口52万人−91

住民−ズールー、コサ、ソト、ツワナなどの民族、ヨーロッパ系(オランダ系− アフリカーナー、イギリス系) 、カラード(混血)、インド系

主な言語−アフリカーンス語(オランダ語が変化したもの)、ズールー語、コサ語、ソト語、ツワナ語、ほかのバントゥー諸語5言語、英語

宗教−キリスト教(オランダ改革派教会、英国教会、カトリック)、イスラム教、ヒンズー教、伝統宗教

自然

内陸は高原。端は崖で、東半分はドラケンスバーグ(竜の山)山脈と呼ばれています。
北西部はカラハリ砂漠の一部。
気候はほとんどが温暖。

歴史

1652年、オランダ東インド会社が中継基地として以来、増えていったオランダ移民(ボーア人)が住民から土地を奪っていって、ケープ植民地を作りました。1814年にイギリス領になります。
オランダ移民は北方に移住し、ナタール共和国をたてますが、イギリスに敗北。さらに内陸に移っていきました。
1852年、トランスバール共和国、54年にオレンジ自由国を建てます。そこでダイヤモンドと金が発見されて、第1次・2次ボーア戦争となり、イギリスが勝利。

1910年、4州からなる南アフリカ連邦が成立しました。
11年、白人労働者のため最初の人種差別法、鉱山・労働法制定。
34年、イギリス連邦内で独立。

48年、政権を握った国民党(オランダ系アフリカーナーの政党)は、アパルトヘイト(人種隔離)政策を本格的に進めていきます。
59年には、バントゥースタンを作り、「白人国家」から「黒人国家」を分離する政策(70年からは「ホームランド」と呼び、「独立」を与えていきます)。

60年、シャープビル虐殺事件。
61年、イギリスからの人種差別に対する非難を機に、英連邦を脱退し、共和制に移行します。
76年、ソウェト蜂起。
84年、カラード、インド人にも参政権を認めた三院制議会を導入。反体制運動は激しくなってきます。国際的に経済制裁を受けます。

91年、人種差別の法律の全廃を決定。
94年、全人種参加の選挙でANCが勝利。マンデラ議長が大統領に就任しました。副大統領に、ANCのムベキ氏と国民党党首のデクラーク元大統領が就任。英連邦と国連に復帰。
96年、新憲法を採択。国民党は政権から離脱。

産業・経済

金、ダイヤモンド、希少金属(レアメタル)など鉱物資源も、工業力もアフリカ第1。
デ・ビアス社は世界のダイヤモンド市場の大半を支配しています。
装飾用ダイヤモンド(93年総産出量は870万カラット)、プラチナの産出量は世界最大。
マンガン、クロム、バナジウム、プラチナ、石炭などの第1次産品の日本への輸出が途絶えたことはありません。

『南アフリカビジネスガイド』(日経事業出版社)他

1ページの旅
津山直子「南の国の動物記 ペンギン]

南アフリカ共和国は、もちろんアフリカのいちばん南にあり、その海をずっと渡っていけば南極になります。こんなに広いアフリカ大陸なのに、「アフリカ=暑い」という印象は、今でも日本の人々の中に強く残っていると思いますが、南アの冬(6〜8月)はとても寒い。特に今年は、40年ぶりの寒さとかで、南ア各地は0度を切る日が続き、雪があちこちで降りました。
でも、南アの南端ケープ半島にすむペンギンは、この寒さを喜んでいたかもしれません。ジャッカスペンギンという名前は、鳴き声がロバ(ジャッカス)に似ているからで、ケープペンギンという呼び名でも知られています。身長30センチぐらいの小さなペンギンで、夏には泳ぎを楽しむ人々のあいだをペンギンがよちよち歩いています。
ケープ半島の周辺の島は、自然の宝庫で、ジャックスペンギンも総数16万羽が生息しています。ネルソン・マンデラ大統領ら、何千人もの反アパルトヘイト運動の指導者が投獄されていたことで知られるロビン島も、今後は、その豊かな自然を楽しめる観光地にしようという計画があります。マンデラ氏らも、何十年も投獄されていた中で、ジャッカスペンギンやいろいろな鳥の鳴き声に耳を傾けるのを楽しみにしていたのかもしれません。

日本国際ボランティアセンター(JVC)機関誌『トライアル・アンド・エラー』1994年11月号より

わたしのすすめるこの3冊
奥野久美子

南アフリカ共和国を知る本は、『ネルソン・マンデラ自伝』(NHK出版)など、挙げきれないほどたくさん出ています。ここでは、少し違う角度から南アを見る本を紹介したいと思います。

まずは、『アフリカで食べる』(松本仁一著、朝日新聞社)をお勧めします。アフリカ各国の食に関する短いエッセイがまとめられた本です。アフリカ全体から南アを見ることも興味深いと思います。続編『アフリカで寝る』もお勧め。

次に、紹介したいのは、『ガンジー自叙伝』(中央公論社)。ガンジーが滞在中の南アの状況、また南アにおいても根強い人気(?)の非暴力主義を知るのにもいい本です。

3冊目に、『South Africa』(lonely planet)。バックパッカー向けの英文旅行ガイドですが、南ア全般の情報、歴史、文化など、簡潔にまとめられていて、読み物としても面白いと思います。

南アはいろいろな面をもっています。いろいろな角度からながめて、もっともっと知っていただければ、と思います。

(日本国際ボランティアセンター南アフリカ事業担当)

日本のNGO(民間団体)の活動

日本国際ボランティアセンター(JVC)
1992年、日本のNGOとして初めて、南アフリカに事務所を開設。活動を始めるにあたっては、抑圧の中で団結して生活改善や農村開発に取り組んできた住民組織やNGOとの協力関係を築いていくことにしました。
○農村開発
トランスカイ・ホームランド(76年に最初の「独立国」となる。現在は東ケープ州に含まれる)の「イシナンバ地域開発センター」がすすめる協同組合活動を支援。第1段階は、保健、衛生、栄養、基礎教育といった知識を学ぶことから。そして養鶏、ろうそく作りなどの技術を身につけます。次に協同組合の運営の方法を学び、5〜15人くらいの小さな組合を組織し、低利の融資を受けて活動。イシナンバから独立して、協同組合を自主運営していくことをめざします。
○職業訓練
UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)と協力して、各地で大工、電気、自動車整備、裁縫、コンピューターなどの職業訓練を行なっています。
「これまで、南アの経済の90%は白人企業に握られてきました。この経済システムを変えていくのは、政治を変えた以上に難しいかもしれない。でも、協同組合活動や技術訓練により、コミュニティーの住民自身が主体となり、生産や建設にかかわっていけるようにしていきたい」−JVC南アフリカ代表 津山直子『トライアル・アンド・エラー 』1994年9月号より
○子どもの教育支援
*詳しい情報は
http://www.jca.ax.apc.org/jvc

2つだけの3言語レッスン

英語

アフリカーンス語

ズールー語

thank you dankie Nglyakubonga
please asseblief ake,siza

『アフリカーンス語 基礎1500語』(桜井隆編 大学書林)『ENGLISH AND ZULU DICTIONARY 』(WITWATERSPAND UNIVERSITY PRESS)

いろいろ情報

道祖神のツアー「ビクトリア大瀑布とサファリ・そして喜望峰[10日間]」には、毎月曜・東京発と、毎金曜の東京・名古屋・大阪・福岡発」があります。 Eメール ttgtyofk@blue.ocn.ne.jp

アフリカ日本協議会発行の会報『アフリカNOW』の2月20日発行号で、特集「アフリカは今」として南アフリカの記事が掲載されます。Eメール PXC06143@niftyserve.or.jp

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