第54回
2009年2月26日(木曜日)は西サハラ
目次
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国のあらましと地図 |
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地域名・国名−西サハラ Western Sahara サハラ・アラブ民主共和国 Sahrawi Arab Democratic Republic 臨時首都−ティファリティ Tifariti 面積−26.6万平方キロメートル 住民−アラブ・ベルベル系 主な言語−アラビア語、ハッサニヤ語(アラビア語の方言) 宗教−イスラム教 |
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自然
国土のほとんどがサハラ砂漠の一部。沿岸は世界で指折りの漁場。 内陸部は砂漠気候ですが、海岸部は比較的穏やかな気候です。 |
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歴史
1884年、スペイン領に 1975年、モロッコとモーリタニアに 分割譲与されます |
11〜13世紀、ベルベル人ほかが住む地に、現在のイエメンからアラブ人が移動してきます。 15世紀、ポルトガルの航海士たちが上陸。 1884−85年、ベルリン会議でスペイン領サハラの地理的原型が成立。実質の支配地はリオ・デ・オロ地方の海岸部。 34年、リオ・デ・オロ地方の内部からサギア・エル・ハムラ地方も占領(フランスが軍事協力)。 62年、ブ・クラウでリン鉱石開発が本格化。 65年から、国連は住民投票の実施を要請しますが、スペインは回避。 66年から、モロッコとモーリタニアは、国連でスペイン領サハラの領有権を主張。 73年、民族解放組織、ポリサリオ戦線(Frente Popular para la liberacion de Saguia el hamra y Rio de oro =サギア・エル・ハムラとリオ・デ・オロ人民解放戦線の略)が結成され、武装闘争を開始(翌年、リビアとアルジェリアから武器の援助)。 75年、国連視察団が派遣されます。 同年、モロッコは35万人を動員し、スペイン領サハラへの行進を行ないます。スペインは、モロッコ、モーリタニアに分割譲与する協定を結びます。2国の軍が侵攻し、住民はアルジェリアに避難。 |
1976年、サハラ・アラブ民主共和国建国宣言 79年、モーリタニアが撤退後は モロッコが単独で占領 |
1976年、スペインが撤退。アルジェリアで、ポリサリオ戦線はサハラ・アラブ民主共和国の建国を宣言。ティンドゥフにある難民キャンプを拠点として、武装闘争を続けます。 78年、モーリタニアでクーデタが起こり、ポリサリオと停戦。 79年、和平協定が結ばれ、モーリタニアは西サハラから撤退。モロッコが単独で占領。 80〜87年、モロッコは防衛線の「壁」を建設(外側はサハラ・アラブ民主共和国の解放区)。西サハラ地域の道路建設などを進めます。 84年、アフリカ統一機構(OAU)がサハラ・アラブ民主共和国の加盟を承認。モロッコはOAUを脱退。 |
1992年、独立あるいはモロッコ併合かを問う住民投票が延期 | 1991年、国連安全保障理事会の決議で和平案がまとめられ、国連西サハラ住民投票監視団(MINURSO)が設置されます。 92年、独立あるいはモロッコ併合の帰属を決定する住民投票が予定されますが、モロッコが有権者名簿を問題として延期(現在まで実施されていません)。 |
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産業・経済
リン鉱石の鉱業が主産業。石油の埋蔵が確認されています。 世界有数の漁場をもち、水産資源(タコ、マグロなど)に恵まれています(かつての主産業であった牧畜の従事者は、現在では少数)。 |
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西サハラとこの人
サン=テグジュペリ Saint-Exupery |
『南方郵便機』(1929年)、『夜間飛行』(31年)、『人間の大地』(39年)、そして『星の王子さま』(43年)の作者、アントワーヌ・ジャン=バティスト・ロジェ・ド・サン=テグジュペリは、1900年、ジャン・ド・サン=テグジュペリ伯爵の長男としてフランスで生まれます。 21年、ストラスブール第2航空隊に入隊。民間飛行免許取得。 26年、航空郵便のラテコエール社に入社。 27年、トゥールーズ=カサブランカ線、カサブランカ=ダカール線の定期郵便飛行。サハラ砂漠の中継基地キャップ・ジュビー(ラユーンの北)に飛行場主任として赴任。 29年、フランスに帰国。 「ここはスペイン領サハラの中にあるアフリカでいちばん辺鄙な場所です。海岸に要塞があり、その後ろのぼくたちのバラックがあり、そのあとは数十キロ、数百キロにわたって何もありません」(『母への手紙』) 「ぼくはサハラで3年暮らした。サハラで暮らしたことのある者はだれでも、一見そこには孤独と窮乏しかないように見えるのに、その頃が人生最良の時期だったように思えて涙を流すのだ」(『ある人質への手紙』) 44年、サルディーニャ島の偵察部隊に復帰。コルシカ島からフランス上空への偵察に出現、消息を絶ちます。 出典: 『「星の王子さま」の誕生―サン=テグジュペリとその生涯』(創元社) |
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西サハラを知る本
新郷 啓子
著 『蜃気楼の共和国?―西サハラ独立への歩み』 現代企画室 1993年 |
著者は、フランスに渡り、フランス語を学んでいたときに、西サハラ解放闘争を描いたドキュメント・フィルムを見たことをきっかけに、1983年から西サハラ解放闘争の支援活動に参加。現在はスペイン在住。 目次 第1章 歴史に登場しない歴史 第2章 難民キャンプ 第3章 西サハラ解放区 第4章 占領地 第5章 監獄王国 第6章 国連作成の和平案 終章 「・・・住民投票によってサハラウィは自分達の将来を決定する。将来にどんな問題が待ち受けていようとも、この『自決権』は行使されなければならない。この権利を獲得するために二十年近い年月を費やし、多大な人命を犠牲にしたサハラウィに、国際社会がこれを約束した以上、それは達成されなければならない。人民として生きる意志を抱き続けるサハラウィが彼らの歴史の『新しい章』を開くには、国際正義を尊重する行為しかないのだ」(終章から) |
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1ページの旅
djamila olivesi『 les enfants du polisario 』 des femmes 1978 |
『ポリサリオの子どもたち』 絵 ティンドゥフ地域に避難してきたサハラウィの子どもたち(60人・6〜13歳) 文 ジャミーラ・オリヴェージ(アラビア語とフランス語) 編集 アハメド・ベン・ディアーブ ジャミーラ・オリヴェージ 監訳 新郷啓子(未刊行) 14ページ(上の絵は13ページ) 「1884年以前の日々・・・」 今朝は、みんなで月のように丸い石で遊んだ。 近くではニワトリが卵を4つ産んだ。 でも、大人たちを手伝って、テントをたたまなくてはいけない。 その前に、いつものとおり授業がある。勉強が終わったらすぐに、走って行って、砂丘で滑って遊ぼう。それとも大人たちを手伝って、毎日している仕事をしようか。 たとえばロープを編んだり、クッションに絵を描いたり、道具を彫って作ったり、枯れ木を集めたり・・・。 昔から変わらない静けさの中のしあわせ。 永遠に続く灼熱の中に暮らしている。地平線が美しい。 また、出発。ラクダもわたしもふくれっつら。空も雲でふくれている。これは雨が降り出すしるし。だからみんなうれしくなる。 降ってきたら、踊るためにきっとここに留まるはず。 女の人たちはもう発声練習を始めている。逆さにした球形のひょうたんで、さえたリズムをとりながら。 年寄りたちはお茶を入れる。 日が暮れたら、夢のような雰囲気の中で踊るのだ。かあさんはすてきなダンスのために、きっときれいなメレッファ(1)を貸してくれるだろう。 (1)女性が全身を包む大きなヴェール。これで顔は隠さない。 |
主な参考資料
『アフリカを知る事典』(平凡社)
『蜃気楼の共和国?―西サハラ独立への歩み』(現代企画室)
西サハラ問題研究室ホームページ
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2009年2月28日更新/2月26日作成