第52回

2009年2月12日(木曜日)はナミビア

目次

国のあらましと地図
自然

歴史
産業・経済

文化世界遺産

独立−1990年
国名−ナミビア共和国 
     Republic of Namibia
首都−ウィントフーク Winthoek

面積−82.4万平方キロメートル

人口−210万人(2007年 世界銀行)
     
住民−オバンボ、カバンゴ、ヘレロ、ダマラ、ヨーロッパ系、ナマ
主な言語−英語、アフリカーンス語
(オランダ語が南アフリカの民族の言語の影響を受けて変化したもの)
宗教−キリスト教

自然

大西洋岸座沿いに細くナミブ砂漠が伸びています。高地をはさみ、内陸部にはカラハリ砂漠があります。その北部に塩性湿地、エトシャ・パンがみられます。

歴史

16〜17世紀、バントゥー系の民族が定着 16〜17世紀、狩猟採集民のコイサン語系のサン(ブッシュマン)やナマが住んでいた地に、北からバントゥー系の牧畜民、ヘレロ、ダマラ、オカバンゴなどが入ってきて定着。サンはカラハリ砂漠に追い込まれます。
1884‐85年、ベルリン会議で
ウォルス・ベイ港周辺を除き
ドイツ領南西アフリカになります
1884−85年、ベルリン会議で、それ以前からイギリスのケープ植民地に属していたウォルス・ベイ港周辺を除き、「南西アフリカ」としてドイツの保護領になります。
第1次世界大戦後
南アフリカの委任統治領に
その後は実効支配を続けます
1914年、第1次世界大戦中に、南アフリカ連邦が侵攻し、占領。
1920年、国際連盟の下で、南ア連邦の委任統治領となります。

1945年、国際連合は南西アフリカの信託統治領への移行を勧告しますが、南ア連邦は拒否。委任統治制度は国際連盟の解散により消滅したものとして、南アは不法に実効支配を続けます。
1949年、国連総会は、国際法上の地位について、国際司法裁判所に提訴。翌年、裁判所は南ア連邦の主張をほぼ認めますが、行政については国連総会の監督を受けるべきとします。

58年、南西アフリカ人民機構(SWAPO)が設立されます。
60年、国連総会は、南アフリカの委任統治の継続を認定した上で、その終了を決議しますが、南アの実効支配は継続。

66年、国連総会は、南アフリカ共和国(61年に連邦が改称)の委任統治を終了を決定、国連の直轄とすること決議します。
同年、SWAPOは武力闘争を開始。
68年、国連総会は、南西アフリカをナミビア(ナミブ砂漠に由来)と改称し、国連ナミビア委員会の統治下におくことを決議。
同年、南アフリカはホームランド(非白人居住区)制度を導入。

71年、国際司法裁判所が、南アの統治を不法と裁定。
同年、鉱山ストライキから発展した全国的な南ア支配への抗議行動が、南ア軍により鎮圧されます。
73年、国連はSWAPOを承認。

75年、南アはオバンボのホームランド、「オバンボランド」の「独立」とその他の9つのホームランドの連邦化を図る憲法制定議会を開催。SWAPOと国連は拒否し、公正な選挙を主張。安全保障理事国、5か国も南ア政府とSWAPOと交渉しますが、失敗。
78年、国連安保理は国連ナミビア独立支援グループ(UNTAG)の設置を決定。
同年、南ア政府は、SWAPOを外して、選挙を実施。同国が派遣する行政長官の下に、かいらい的な自治政府を置きます。

81年、5か国の働きかけで、SWAPO代表を含めた全当事者による会議が開かれますが、決裂。
82年、米国のレーガン政権は、アンゴラ駐留のキューバ軍の撤退がナミビア独立の先決条件という政策を出しますが、アンゴラは拒否。
83年、自治政府が人種差別政策を緩和しようとして、南アと衝突。南アは自治政府を廃止し、直接統治に乗り出します。

88年、南アフリカ、アンゴラ、キューバ、米国がロンドンで会談、次に南アとアンゴラの当事者が会談し、南アはナミビアの独立の合意します。
89年、UNTAGが活動を開始。国連監視の下で、憲法制定議会選挙を実施。SWAPOが第一党になります。ナミビア共和国憲法採択。
1990年、独立
94年、南アフリカがウォルス・ベイ港を返還
1990年、ナミビア共和国独立。初代大統領にヌヨマが就任。
同年、イギリスの協力で国軍が、旧SWAPO武装勢力と旧ナミビア軍から構成されます。
92年、最初の地方選挙が実施。
94年、南アフリカが飛び地としていた、ウォルス・ベイ港を返還します。
同年、独立後最初の大統領、議会選挙実施。ヌヨマ大統領が再選。
95年、商業的農地法を制定し、植民地期の土地の不平等配分を是正。アフリカ人の再入植のための土地購入が可能になります。
99年、大統領選挙でヌヨマ大統領三選。

2004年、大統領選挙で、ポハンバ大統領選出(2005年、就任)。



産業・経済

経済の中心は、南部の白人入植地域で、ダイヤモンド、ウラン、鉛、亜鉛など鉱物資源が豊富。これらは南アフリカをはじめとする多国籍企業によって採掘されています。沿岸沖の天然ガス田は国際的にも関心を集めています。農牧業は、半砂漠地域のため、畜産が主となります。ウォルス・ベイを基地とする漁業も重要です(エビ、イワシ、アジ)。

アフリカ人の多くは北部に暮らしていますが、ほとんどが砂漠地帯なので牧畜以外はできず、南部または南アフリカの鉱山に出稼ぎ労働を行なって、生計を立てています。

主な輸出品は、ダイヤモンド、工業製品、食料品・家畜、その他鉱物
相手国は、南アフリカ、イギリス、アンゴラ、スペイン。

主な輸入品は、自動車製品、精製石油、化学品、機械製品、食料品
相手国は、南アフリカ、イギリス、ドイツ、スイス(2007年)。

主な日本への輸出品は、生鮮魚、カニ・エビ等の水産物、亜鉛
輸入品は、自動車・部品、電気機器(2007年)。

主要援助国は、米国、ドイツ、スペイン、スウェーデン、ルクセンブルク(2005年)。

文化・世界遺産

トゥウェイフル・フォンテーンは、西暦1000年ごろまでに描かれた、2000点以上の岩石線画群が残っています。世界遺産に登録(2007年)。サイ、ゾウ、ダチョウ、キリンなど、狩猟採集生活を営んでいた人々が、儀式の一環として描いたものと考えられています。


主な参考資料
『アフリカを知る事典』(平凡社)
外務省ホームページ
ウィキペディア<世界遺産>

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