第51回

2009年2月5日(木曜日)はジンバブウェ

目次

国のあらましと地図
自然・世界遺産
歴史
産業・経済

文化世界遺産
音楽
いろいろ情報

独立−1980年
国名−ジンバブウェ共和国 
     Republic of Zimbabwe
首都−ハラーレ Haraare

面積−39.1万平方キロメートル

人口−1320万人(2006年)
     
住民−ショナ、ンデベレ、ヨーロッパ系
主な言語−英語、ショナ語、ンデベレ語
宗教−キリスト教
伝統宗教

自然

国土は、南部アフリカ高原盆地に含まれます。標高1200〜1500mmのハイ・ベルト部は、月平均気温が13〜22℃で、経済の中枢部となっています。

ザンベジ川の中流、北隣のザンビアとの国境にあるビクトリア滝は、世界三大瀑布のひとつ。世界遺産に登録されています(1989年)。その下流にある巨大な人口湖、カリバ湖周辺も、観光地となっています。

さらに下ったマナ・プールズ国立公園(マナはショナ語で「4」の意味)は、ザンベジ川の氾濫原で、形成された4つの湖が乾くに従って、水を求めて大型動物が集まります。隣接するチュウォールとサピ・サファリ地域とともに世界遺産に登録(1984年)。

歴史

9世紀ころ移ってきたショナが
ジンバブウェ(石の家)を建設
石器時代、狩猟採集民が居住。
2世紀ころ、バントゥー系が北方から入ってきて、集落を建設します。

9世紀ころ、ショナが移ってきまて、農耕、牧畜を確立。金の採掘と交易で富みます。各地にジンバブウェ(石の家)と呼ばれる巨大な石造建築を建設。
14〜19世紀、モノモタパ王国、ロズウィ王国が繁栄。
19世紀末、C・ローズの名から
ローデシアと名づけられ
1923年、イギリスの自治植民地
南ローデシアが成立
19世紀、ンデベレが南方から侵入。ロズウィ王国を滅ぼし、王国を築きます。
イギリス人の植民者、セシル・ローズと協定を結び、一部の地域の鉱山の採掘権を与えます。

1889年、ローズは、特許会社のイギリス南アフリカ会社を設立。全地域の掌握をめざします。
93年、96〜97年、ンデベレとショナはヨーロッパ人の侵入に対抗しましたが、鎮圧されます。国境線が定まり、この土地は彼の名からローデシアと名づけられます(北の部分は、現在のザンビア)。

1922年、イギリス南アフリカ会社は、経営の行き詰まりを理由に、統治権の放棄を決めます。イギリス政府は、南アフリカ連邦への統合を望みますが、白人住民はこれに反対。
1923年、イギリスの自治植民地としての、南ローデシアが成立。
53年、白人政権が推進し、3植民地でなるローデシア・ニアサランド連邦が成立。
63年、連邦は解体します。
1965年、白人政権が
ローデシアとして独立を宣言

国連の経済制裁を受けます
70年代、アフリカ人解放組織が
活動を開始
1965年、白人スミス政権が、ローデシアとして、独立を宣言。多数支配への移行などの条件を出していたイギリスは、経済制裁を科し、交渉を行ないましたが、政権は白人支配を強化。
68年、国連の経済制裁を受けます。

70年、ローデシア共和国として、共和制に移行。
72年、アフリカ人解放組織が、本格的なゲリア活動を開始。
76年、白人政権は、米国、南アフリカなどの圧力で、2年以内の多数支配への移行提案を受けます。イギリス政府が開催した暫定政府樹立のための会議は決裂。
78年、白人政権は、解放組織の穏健派の代表と暫定政府に関する協定を締結。
79年、住民投票、総選挙を実施。白人優位体制を残した多数支配国家「ジンバブウェ・ローデシア」が発足します。国連安全保障理事会は、総選挙の無効を決議。急進派のジンバブウェ・アフリカ民族同盟(ZANU。人口の多いショナが基盤)、ジンバブウェ・アフリカ人民同盟(ZAPU。ンデベレが基盤)は、武力闘争を激化。
同年、「ジンバブウェ・ローデシア」政府、急進派組織の代表、イギリス政府が新憲法、停戦協定、暫定期間の取り決めに合意。暫定的にイギリスが直接統治。
1980年、ジンバブウェとして独立
ムガベが首相に就任
87年から大統領に
1980年、ジンバブウェとして独立。ZANUのムガベが首相に就任。ムガベ政権は、白人との融和による国家建設に努めます。
87年、大統領に権力を集中する実権大統領制に移行。ムガベが大統領に就任します(90年、再選、96年、三選)。
89年、与党ZANU-PF(旧ZANU)と野党PF-ZAPU(旧ZAPU)が合併。
90年、総選挙でZANU-PFが議席のほとんどを占め、事実上の一党体制。
2000年、白人農場の強制収用開始
2008年、大統領選の結果をめぐり
政情が混乱
経済の崩壊も進みます
2000年、議会選挙で野党、民主改革運動(MDC)が躍進し、二大政党制に。
同年、白人農場を強制収用し、アフリカ人農民に再配分する土地改革が開始されます。
2002年、大統領選挙でムガベ大統領がチャンギライMDC党首を破って四選。与野党の対立が激化。
2003年、MDCが計画したデモに対し、政府は治安部隊の出動、MDC党首の逮捕などの措置。
2005年、政府は、不法居住区の住宅や露天の撤去に着手。
同年、2000年以降収用された土地の原則国有化、これらの土地の裁判権の否定等の憲法改正が行われます。

2007年、南部アフリカ開発共同体(SADC)が主導し、与野党間の対話による問題解決への努力が始まります。
同年、憲法改正の修正案が与野党の合意の下に成立。
2008年、総選挙実施。与党による野党への暴力が激化。大統領選では決戦投票となり、チャンギライ候補は撤退し、ムガベ大統領が五選。この結果をめぐって、政情が混乱、与野党は連立政権の樹立で合意します。しかし、主要閣僚ポストの配分や与党による野党支持者弾圧で対立。経済の崩壊も進みます。
2009年、連立政権に 2009年1月、南部アフリカ共同体(SADC)が仲介案を提示。チャンギライMDC党首は、連立政権に入ると発表します。
2月11日、チャンギライが首相に就任。



産業・経済

農業(トウモロソコシ、たばこ、砂糖、綿花)、鉱業(プラチナ、クローム、アスベスト、ニッケル、金)、工業(食品加工、金属製品、機械)と発達。また、これらを外部とつなぐ鉄道を中心とする社会基盤が完備しています。

強引な土地改革で大規模商業農業システムが崩壊し、農業生産は激減。援助の停止や国際的な信用低下に伴う資金流失、更には干ばつの影響から、経済は極度に悪化しています。

ハイパー・インフレーションが続き、中央銀行は通貨、ジンバブウェ・ドルを、2006年9月に3桁、2008年7月に10桁、2009年2月2日に12桁切り下げるデノミーネーションを実施します(2月現在の最高額紙幣は10兆Zドル)。1月29日には、外国通貨(米ドル、ユーロ、英ポンドなど)の国内での使用が全面的に認められます。

主な輸出品は、たばこ、金、プラチナ、フェロアロイ(合金鉄)、
相手国は、南アフリカ(40.6%)、中国(8.8%)、スイス(8.6%)、日本(6.8%)。

主な輸入品は、機械類、工業製品、化学品、化石燃料
相手国は、南アフリカ(43.6%)、中国(4.4%)、ボツワナ(3.3%)、ザンビア(2.8%)(2005年)。

主な日本への輸出品は、ニッケル、フェロクロム(鉄とクロムの合金)、
輸入品は、乗用車、繊維及び繊維製品(2006年)

主要援助国は、イギリス、米国、スウェーデン、オランダ、ノルウェー(2005年)

文化・世界遺産

南西部のマトボの丘群には、約1万3000年前に描かれたといわれている岩壁画が残っています。世界遺産に登録(2003年)。

ショナが築いた石造建築の遺跡が多数残っている中で、もっとも大規模なの南部にある「グレート・ジンバブウェ遺跡」です。「アクロポリス」と呼ばれる丘の上にある建築群、「神殿」と呼ばれる平地にある楕円形の建築。その2つの間にある石造りの囲壁と住居群からなります。世界遺産に登録されています(1986年)。



音楽

500年以上昔から、先祖の霊や精霊との交信のために、ショナの人たちが演奏してきたムビラという楽器があります。

かなづちで叩いてのばした鉄のキーを、固い木の板につけた楽器で、両手の親指と右手の人差し指ではじいて弾きます。共鳴のため、デゼという大きなひょうたんの中で演奏。どちらも、ビンの王冠などをつけて、ジージーという雑音を作りだします。

現在は、ライブハウスなどの音楽にも登場しますが、一方、儀式で演奏されることは少なくなってきています。

2005年愛知万博の展示から

いろいろ情報

○2月14日(土)、「ジンバブウェ帰国報告会・種支援基金報告会 今を生きる、明日を生きる〜 国家の危機下での まちのくらし、むらのくらし 〜」(DADA:アフリカと日本の開発のための対話プロジェクト)が開催されます。詳細はこちらをご覧ください。


主な参考資料
『アフリカを知る事典』(平凡社)
外務省ホームページ
ウィキペディア<世界遺産>

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2009年2月20日 更新/2月15日 更新/2月11日 作成

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