第49回
2009年1月22日(木曜日)はセーシェル
目次
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国のあらましと地図 |
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独立−1976年 国名−セーシェル共和国 Republic of Seychelles 首都−ビクトリア Victoria 面積−455平方キロメートル 人口−9万人(2007年、世界銀行) 住民−クレオール(ポリネシア系、インド系、アフリカ系、ヨーロッパ系の住民の混血) 主な言語−英語、フランス語、クレオール語 宗教−キリスト教(カトリック、英国国教会) |
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自然・世界遺産
アフリカ大陸の東岸から約1700km離れたインド洋上の約90の島々からなり、マヘ(マエー)島、プララン島、シルエット島、ラ・ディーグ島などを含む花崗岩質の島群と南西のサンゴ礁島群に分けられます。 海洋性赤道気候。サイクロンに襲われることは少ないとよい条件に恵まれています。 アルダブラ群島に含まれるアルダブラ環礁は、アルダブラゾウガメをはじめ独特の動物相、植物相が保たれていて、世界遺産に登録されています(1982年)。 2番目に大きいプララン島のヴァレ・ド・メ自然保護区には、フタゴヤシが群生する原生林が残っています。世界遺産に登録(1983年)。 |
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歴史
1756年、フランス領 ナポレオン戦争の後 1814年、イギリス植民地に |
7〜8世紀、アラブ人が来航した記録があります。 17世紀、海賊が基地とします。 1742年、フランス領のモーリシャスのマエー総督が探検隊を派遣し、諸島をフランスの蔵相の名からセーシェル、最大の島には自らの名を付けます。 56年、正式にフランス領になります。 94年、イギリス海軍が占領。 1814年、ナポレオン退位後の条約で、イギリス植民地になります。イギリスはモーリシャス島とともに統治。 72年、独自の行政審議会、立法審議会が設置されます。 1903年、イギリスの直轄植民地となり、総督が置かれます。 1970年、制憲会議を経て、セーシェル民主党(SDP)党首、マンチャムが自治政府の首相に就きます。国連は選挙をせず任命によったことに反対し、完全独立を目指す人民連合党(SPUP)のルネを支持します。 75年、制憲会議で両党の連立が合意。 76年、制憲会議で独立憲法が採択されます。 |
1976年、独立 78年、一党制に 91年、複数政党制に移行します |
1976年、独立。マンチャムが大統領、ルネ首相の下に共和制をとります。 77年、ルネがクーデタを起こし、大統領になります。憲法は停止、議会は解散。 78年、SPUPはセーシェル人民進歩戦線(SPPF)と改称。一党制に移行します。 79年、社会主義を志向する新憲法発布。 81年、南アフリカの傭兵による政府転覆の企てが失敗(82年、83年にも同様の企て)。 84年、ルネ大統領再任(89年、再任)。 91年、複数政党制移行。 93年、第1回大統領・国民議会選挙。ルネ大統領再選(98年、再選)。自由主義路線に方向を転換。 2001年、任期途中で大統領選挙。ルネ大統領再選。 2004年、ルネ大統領退任。ミッシェル副大統領が大統領に就任。 2006年、第4回大統領選挙、ミッシェル大統領が辛勝(得票率53.73%)。 |
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産業・経済
主要産業は、観光業、漁業。マヘ島の空港は、1971年に完成。 マグロ、エビがとれ、マグロは加工した缶詰も輸出。 耕地は限定され、食糧は輸入に頼っています。主な農産物は、マーガリンなどを作るコプラ(ココナッツの胚乳)、シナモン、バニラ産。 鉱産物として、肥料の原料となる化石、グアノ(鳥糞石)を産します。 2004年、財政事情を背景に、SADC(南部アフリカ開発共同体)とIOR(環インド洋地域協力連合)から脱退。改善に伴い、SADCについては2008年に再加盟。 主な輸出品は、マグロ缶詰、鮮魚・冷凍魚、シナモン、エビ(2005年)。 主な輸入品は、機械・車両、鉱物燃料、食料品・家畜、日用雑貨(2005年) |
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主な参考資料
『アフリカを知る事典』(平凡社)
外務省ホームページ
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