第47回

2009年1月8日(木曜日)はサントメ・プリンシペ

目次

国のあらましと地図
自然
歴史
産業・経済

独立−1975年
国名−サントメ・プリンシペ民主共和国 
     Democratic Republic of Sao Tome and Principe
首都−サントメ Sao Tome

面積−960平方キロメートル

人口−16万人(2006年、世界銀行)
     
住民−アフリカ人(アンゴラ、モザンビークなどから来た人たちの子孫)、ポルトガル人とアフリカ人の混血
主な言語−ポルトガル語
宗教−キリスト教(カトリック)

自然

ギニア湾にあるサントメ島とプリンシペ島の2島と、周辺の小島からなっています。大陸のカメルーン火山系の一部で、火山性の地質。
高温多湿な熱帯性気候。サントメ島では、降水量がサントメ山(2024m)の北部では年間800mm、南部では5000mmと大きな差があります。

歴史

1470年にやってきたポルトガル人が奴隷を労働力として
サトウキビなどの農園を経営
1470年、ポルトガル人がやってきて、サトウキビ農園を開きます。労働力は奴隷。ベニン王国(現在のナイジェリア西部)やコンゴ王国と交易。
奴隷貿易の大きな基地となります。

19世紀、アンゴラ、モザンビークなどのポルトガルの植民地から移入された労働者により、開発が進められます。

1960年、サントメ・プリンシペ解放委員会(CLSTP)が設立され、ガボンに本部を置いて活動を開始。
63年、農園労働者によるストライキで、CLSTPが指導的役割を果たしますが、弾圧により力が弱まります。

74年、ポルトガルで軍事革命後、新政権が、植民地に独立を与える宣言。
サントメ・プリンシペ解放運動(MLSTP。CLSTPが改称)が交渉。
1975年、独立
一党支配体制で国家建設

1975年独立。ダ・コスタ大統領就任。MLSTPの一党支配体制で国家建設に着手。農園は国有とします。

78年、クーデタ未遂事件が起こり、その後、アンゴラ軍が駐留。
85年、ダ・コスタ大統領3選。
1990年、複数政党制導入以降
2人の大統領が再選
90年、複数政党制導入、大統領多選制限規定(最大2期−1期は5年)を含む新憲法が、国民投票で承認されます。
91年、大統領選で、トロヴォアダ元首相が当選(96年、再選)。
94年、98年、国民議会選挙でダ・コスタ派(MLSTP-PSD=民主合同党)が勝利。大統領と政府与党が対立しながら共存する状況。

2001年
大統領選挙。トロヴォアダ(3選禁止で不出馬)派のデ・メネゼス大統領が当選(2006年、再選)
2002年、国民議会選挙。挙国一致内閣が誕生

2003年、クーデタ未遂事件が発生。CEEAC(中部アフリカ諸国経済共同体)、CPLP(ポルトガル語諸国共同体)を中心とする国際仲介団等の活動により無血で終結します。



産業・経済

主な産業は、農業。耕作地は国土の8%。主要産品は、カカオ、コプラ(ココヤシの果実の胚乳を乾燥させたもの)、バナナ。
恒常的に食糧が不足し、輸入と食糧援助に頼っています。

2010年には石油生産が開始される見込み。観光業の発展にも力を注いでいますが、アクセスの悪さ等が障害となっています。

主な輸出品は、カカオ等、

相手国は、オランダ、ベルギー、韓国、ポルトガル

主な輸入品は、食糧品、資本財、石油製品、
相手国は、ポルトガル、フランス、アメリカ、ベルギー(2006年、EIU)。

主な日本への輸出品は、金属品、雑製品、加工食品、カカオ豆、観賞魚等、
輸入品は、機械類、自動車、船外機等(2006年)

主要援助国は、ポルトガル、フランス、日本、カナダ、スペイン(2005年)

対外債務残高が、1998年にGNPの670%に達し(2000年は460%)、2000年に200億ドルの債務免除を受けます。


2007年からの穀物価格の高騰で、深刻になった食糧事情の改善のため、2008年、政府は日本政府に、米の購入と輸送に必要な資金の供給を要請。日本は食糧援助として、4億5,000万円の無償資金協力。


上の絵は、2005年愛知万博での展示の壁面



主な参考資料
『アフリカを知る事典』(平凡社)
外務省ホームページ

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