第44回
2008年8月7日(木曜日)はモザンビーク
目次
国のあらましと地図 |
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独立−1975年 国名−モザンビーク共和国 Republic of Mozambique 面積−80.2万平方キロメートル 人口−2,010万人(2006年。世界銀行) |
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自然
西部は南部アフリカ高原盆地の縁。インド洋沿岸にはモザンビーク平原が広がり、ザンベジ川、リンポポ川などが流れています。海岸線は屈曲に富んでいて、サンゴ礁が八タル、河口部にはマングローブ林が見られます。 |
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歴史
7世紀にバントゥー系が定住 14世紀、モノモパタ王国が繁栄 |
ブッシュマン(サン)が住んでいる地に、7世紀ころバントゥー系の人々が北方から来て、定住。 14世紀ころ、カランガ(ショナの一部)のモノモタパ王国が、ジンバブエにまたがる広い領土を支配。アラブとの交易で繁栄します。 |
17世紀、ポルトガル人の入植が進み、大農園を経営 | 15世紀末、喜望峰を回り、ポルトガル人がやってきて、沿岸部に住むアラブ人を追い払い、内陸に進出。 1544年、ポルトガルの貿易商人ロレンソ・マルケスが現在のマプトに貿易基地を設けます。 17世紀、ポルトガル人の入植が進み、大農園を経営し、私兵を雇って、一種の独立国家をつくります。 18世紀、多くのアフリカ人が奴隷として当時ポルトガル領だったブラジルなどに送られます。 |
1884-85年、ベルリン会議でポルトガル領東アフリカに 特許会社が開発にあたります |
1884‐85年のベルリン会議で、ポルトガル領東アフリカとなります。ポルトガル政府は、ニヤサ、モザンビーク、ザンベジアの3つの特許会社に開発にあたらせます。 90年代、南アフリカの金をロレンソ・マルケス(現マプト)港に運ぶ鉄道が建設されます。毎年、鉱山に労働者としてモザンビーク人を提供する協約が結ばれます。 |
1962年、モザンビーク解放戦線(FRELIMO)が結成され、64年から武力闘争 | 1933年、ポルトガル本国で制定された植民地法により、同化政策が実施されますが、事実上は差別の導入となります。また、ワタの強制栽培などで植民地支配が強化されます。 62年、モザンビーク解放戦線(FRELIMO)が結成され、64年からタンザニアに基地を置いて、武力闘争。 65年、FRELIMOは国土の20パーセントにあたる北部を解放。 70〜71年、中国、ソ連の援助を受け、南部に進出。 74年、ポルトガルの軍事革命でできた新政権が、解放を宣言。 |
1975年、独立 直後から、モザンビーク民族抵抗運動(MNR)が武力闘争を開始 |
1975年、独立。FRELIMO議長のマシェルが初代大統領に就任。社会主義国家を目指します。独立直後から、ポルトガル人入植者を主体とする反政府組織、モザンビーク民族抵抗運動(MNR=RENAMO)が武力闘争を開始。 77年、党大会で公式にマルクス・レーニン主義を掲げます。 80年代、それまでMNRに武器援助をしていたといわれる南アフリカによる不安定化工作が激しくなります。 84年、南アフリカと不可侵条約を結びますが、MNRの破壊活動はやみません。 86年、マシェル大統領死去、シサノ大統領就任 89年、党大会で、マルクス・レーニン主義を党の綱領より落とします。 90年、ローマで、教会の仲介による和平交渉が始まります。 同年、複数政党制の大統領の直接選挙とする新憲法を制定。モザンビーク人民共和国からモザンビーク共和国に国名を変更。 |
1992年、包括和平協定調印 94年、大統領・国民議会選挙 |
92年、包括和平協定の調印。内戦は終結。 同年、国連モザンビーク活動(ONUMOZ)による政府軍とMNR軍の武装解除、新国軍の創設および1年以内の総選挙等の和平プロセス実施。 94年、1年遅れで大統領・国民議会選挙が行なわれ、シサノ大統領が再任。MNRが第2党になります。 95年、英連邦に加盟。 2004年12月、大統領・国民議会選挙。 2005年2月、ゲブーザ大統領就任。 |
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産業・経済
基幹産業は農業。重要な産業である漁業では、協働組合方式をとっています。 1987年、国際通貨基金(IMF)、世界銀行の融資条件を受け入れた経済復興計画を実施。 主な輸出品は、アルミニウム、エビ、綿花、砂糖、電力、 相手国は、ベルギー、イタリア、スペイン。 主な輸入品は、機械、自動車・自動車部品、原油、繊維、 相手国は、南アフリカ、オーストラリア、米国(2006年) 主な日本への輸出品は、エビ、タバコ、ごま、 日本からの輸入品は、車輌・船舶、鉱物性生産品、機械類(2007年)。 主要援助国は、米国、英国、スウェーデン、ノルウェー、デンマーク(2005年) |
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文化・世界遺産
モザンビーク北部にあるモザンビーク島は、かつてポルトガルのインド航路における貿易拠点となった要塞都市。16世紀の石造りの建造物群があり、世界遺産に登録されています(1991年)。 |
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モザンビークを知る本
ふなだ 舩田クラーセンさやか 『モザンビーク解放闘争史―「統一」と「分裂」の起源を求めて』 御茶の水書房 2007年 |
著者は、東京外国語大学外国語学部講師、TICAD市民フォーラム(TCSF)副代表。 1994年、国連ボランティアの選挙支援担当官として、ニアサ州の農村部に派遣されました。 「ニアサの人びととの出会いから10余年。地域社会に生きる人びとへの丁寧な聞き取りから得られた証言や諸資料・先行研究の精査を積み重ねてきた(カバーの紹介文から)」著者が、「博士号学位論文を出版用に若干手直しした(はじめにから)」本です。 序章 「統一」と「分裂」の起源を求めて 第1章 「モザンビーク」の出現と植民地支配下における社会変容 第2章 マウア地方の特徴と植民地支配の確立過程 第3章 モザンビーク解放闘争前史 第4章 1960年から75年までの世界とモザンビーク解放闘争 第5章 解放闘争期におけるマウア区 終章 解放闘争と独立紛争 |
○BBCのウェブサイトに、モザンビークのゴマの生産者について写真入りの記事が掲載されています。 http://news.bbc.co.uk/2/shared/spl/hi/picture_gallery/04/africa_sesame_farmer/html/1.stm |
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