第40回

2007年2月22日(木曜日)はモーリシャス

目次

国のあらましと地図
自然
歴史
産業・経済
文化・世界遺産

独立−1968年
国名−モーリシャス共和国 
     Republic of Mauritius 
面積−2045平方キロメートル

人口−130万人(2005年)
首都−ポートルイス Port Louis
      (人口約15万人)

住民−インド人、クレオール(アフリカ人とヨーロッパ人の混血)
     中国人、ヨーロッパ人


主な言語−英語(公用語)、クレオール語(フランス語とアフリカ          の諸言語の混成語)、フランス語、ヒンドゥー語
    

宗教−ヒンドゥー教、キリスト教、イスラム教、仏教

自然

マダガスカル島から約800km東、インド洋にあるモーリシャス島(南緯20度)とその東のロドリゲス島、そして北方のアガレガ諸島などの小島からなります。
モーリシャス島もロドリゲス島も火山性の島で、沖合いにはサンゴ礁が発達しています。観光地として急速に発展し、サンゴ礁の汚染が懸念されています。
熱帯海洋性の気候で、1〜3月はサイクロンにしばしば襲われます。

歴史

1598年、オランダが植民を始め、放棄したあと
1715年、フランスが入植し
1814年、イギリス領になります
1510年ころ、ポルトガル人がやってきたときは、無人島。
98年、オランダがインド航路のための補給地として、植民を始めます。オランダの独立運動の指導者、マウリッツからとってマウリティウス(英語名がモーリシャス)と名づけます。

1710年、オランダが放棄。
15年、フランスがあらためて入植し、奴隷を連行して、サトウキビの大農園を始めます。
また、首都ポルトーフランスを建設。

1810年、ナポレオン戦争中にイギリスが占領。
14年、イギリス領となります。
33年、奴隷解放を決めたイギリスは、
奴隷に代えて、インド人を労働者として入れます。
19世紀後半、中国人も流入するようになります。


第2次大戦後、島民の自治が拡大されていきます。
1968年、イギリス連邦の一員として独立
92年、共和国に移行
1968年、イギリス連邦の一員として独立。イギリス女王が国家元首。ラングーラム労働党首が首相に就任します。
71年、野党のモーリシャス闘争運動(MMM)が激しいストライキをうったことから、非常事態宣言。

82年、総選挙で、MMMがモーリシャス社会党と連合して勝ち、ジュグノートMMM党首が首相に就任。
83年、首相は新党の戦略的社会主義運動(MSM)を創設。

91年、立憲君主制から共和制移行のための憲法改正。
92年、大統領を元首とする共和制へ移行します(実権は首相)。
95年、総選挙で、野党連合が圧勝し、ラングーラムが首相に就任。
97年、連立政権に終止符。

2000年、総選挙で野党連合が勝利し、ジュグノート首相が就任。
2005年、総選挙で野党連合が勝利し、ラングーラム首相が就任。



産業・経済

サトウキビからの砂糖生産への依存から脱却するために、1980年代半ばから、輸出加工工業地区(EPZ)を設置し、積極的に外資の導入を図り、繊維などの製造業の比重が高まります(現在は、多国間繊維協定による特恵期間が過ぎ、アジア諸国との競争にさらされています)。
また、観光業も重要な産業です。

主な輸出品は、繊維・衣料品、砂糖、
相手国は、イギリス、フランス、米国、マダガスカル(2005年)。

主な輸入品は、手工業製品、機械・車両、食糧・飲料、
相手国は、フランス、南アフリカ、インド、中国(2005年)。

日本への主な輸出品は、魚、繊維製品、
輸入品は、貨物・乗用自動車・バス、編機等(2005年)。

主要援助国は、日本、ルクセンブルク、ベルギー、米国(2003年)。




文化・世界遺産

1834年に、イギリス政府は、奴隷に代わる「自由な」労働者導入の最初の地として、ポートルイスのアプラヴァシ・ガットを選びます。1834年から1920年の間に、約50万人の契約労働者が、モーリシャスのサトウキビの大農園で働くため、あるいはレユニオン、オーストラリア、南東アフリカ、カリブ海沿岸に移送されるために、インドからこの地に到着しました。

アアプラヴァシ・ガットの建物は、初期のグローバル経済、そして歴史上の大移動のひとつを示しています。この地域は世界遺産に登録されています(2006年)。


主な参考資料
『アフリカを知る事典』(平凡社)
外務省ホームページ

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