第37回

2007年1月18日(木曜日)はガンビア

目次

国のあらましと地図
自然
歴史
産業・経済
文化・世界遺産
この人とガンビア

独立−1965年
国名−ガンビア共和国 
     Republic of The Gambia 
面積−1.1万平方キロメートル

人口−160万人(2006年)
首都−バンジュール Banjul

住民−マンディンゴ、ウォロフ、フルベ、
    ジョラ


主な言語−英語、マンディンゴ語、
       ウォロフ語  
    

宗教−イスラム教、キリスト教、伝統宗教

自然

国土は、ギニアを源に西に流れるガンビア川の河口の島と、幅20〜45kmと細長い両岸。セネガルに楔形に入った形で、すべて低地です。湿地が多く、熱帯雨林も一部に見られますが、気候と植生は、全体的にはサバンナ。

歴史

13世紀、イスラム教が入ってきます
16世紀、イギリスが交易の拠点を置き
19世紀に植民地とします
13世紀、東からやってきたマンディンゴ人が、イスラム教を持ち込み、小王国を形成。
15世紀半ば、ポルトガルのエンリケ航海王子に雇われたベネチア人、カダ・モストがガンビア河口に到達。
16世紀、イギリスが河口に交易の拠点を置きます。

1816年、イギリスが奴隷貿易の取り締まりの基地(現、バンジュール)を建設。その後、イギリス領シエラレオネの管轄下、同西アフリカ植民地を経て、88年、別個の植民地に。
1860〜70年代、イギリスとフランス間で領域拡大の取引材料として扱われます。
1889年、フランス領セネガルとの国境が、両国の間で定められます。
19世紀後半、ウォロフ人(セネガルの主要民族)が入ってきて、商業を営み、ラッカセイ栽培を行ないます。

1950年代、独立運動が動き始めます。
60年、選挙に際して、ジャワラが保護領人民党(マンディンゴを基盤)を組織し、統一党(UP)(ウォルフを基盤。51年創設)に勝ちますが、総督は、統一党首を首相に任命。
62年、人民進歩党(PPP)と改名したジャワラの党が勝利し、独立交渉を進めます。
1965年に独立し、70年、共和制移行
82年、セネガンビア連邦発足、89年に解体
1965年、独立(共和制移行についての国民投票は過半数を得られません)。ジャワラが首相に就任。
70年、再度の国民投票によって、共和制に移行。ジャワラが初代大統領。
78年、ガンビア川開発機構が組織され、独立後進められてきたセネガルとの協力関係がより緊密化。

81年、クーデターが起こり、大統領はセネガル軍に派兵を要請して、制圧。事件を契機に、セネガルとの間に、国家連合を結成する協定を結びます。
82年、セネガンビア連邦が発足。ジャワラは副大統領。
89年、経済力の違いなどの問題から、解体。

92年、ジャワラ大統領が六選を果たします。
94年、軍事クーデターが発生。無血クーデターが成功。ジャワラ大統領は亡命。
96年、新憲法が国民投票で承認されます。大統領選挙でジャメが当選。
2001年、2006年、ジャメ大統領が再選されます。



産業・経済

輸出収入の70%以上をラッカセイに依存しています。農業国で、このほか、キビ、トウモロコシ、米などが栽培されています。観光産業も盛んです。
一番の輸送路は、ガンビア川で、雨季には外洋船も奥の方まで航行。

主な輸出品は、落花生、果物、魚、相手国は、インド、イギリス、フランス(2005年)。
主な輸入品は、食料品、機械・車両、鉱物
、相手国は、中国、セネガル、ブラジル(2005年)。

日本への主な輸出品は、ごま(採油用)、輸入品は、乗用自動車、船舶用エンジン(2005年)。

主要援助国は、日本、米国、ドイツ(2003年)。




文化・世界遺産

前3世紀から後16世紀にかけて作られた環状列石(ストーン・サークル)がワッスをはじめガンビア川に沿って点在。セネガルに存在するものと合わせて、「セネガンビアの環状列石」として世界遺産に登録されています(2006年)。

植民地化以前の交易地や奴隷貿易にかわかわる遺跡が、「ジェームズ島と関連する遺跡群」として世界遺産に登録(2003年)。




                           Alexander Palmer Haley
この人とガンビア [『ルーツ』の作者 アレックス・ヘイリー]

1921年、米国ニューヨーク州で生まれ、南部で成長。アメリカ沿岸警備隊に入隊。チーフジャーナリストを務め、退役後、リーダーズダイジェストの編集主幹となります。

彼自身の家族の来歴を書いた作品『ルーツ』(1976年)は、77年に連続テレビドラムとして放映され、同年、ピューリッツアー賞を受賞。これは、1767年
(米国の独立宣言の10年前)にガンビアでさらわれ、米国に奴隷として売られたクンタ・キンテとその子孫たちの物語です。
事実、起こったと知っていること」と「調査の結果、起こったと考えてもさしつかえないと感ずることと」の「文学的合成」(作者の言葉から)という作品。

主な著作としては、ほかに『マルコムXの自伝』(1965年)があります。2作目の歴史小説『クィーン』の執筆完了前、1992年に死去(彼の依頼により完成されて、93年刊行)。


主な参考資料
『アフリカを知る事典』(平凡社)
外務省ホームページ
ウィキペディア

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