第36回

2007年1月11日(木曜日)はザンビア

目次

国のあらましと地図
自然・世界遺産
歴史
外交
産業・経済
この人とザンビア
音楽-1枚のCD

独立−1964年
国名−ザンビア共和国 
     Republic of Zambia 
面積−75.3万平方キロメートル

人口−1150万人(2004年)
首都−ルサカ Lusaka (人口 約170万人)

住民−べンバ、トンガ、ロジ、カオンデ

主な言語−英語、ベンバ語、トンガ語、
        ロジ語、カオンデ語      


宗教−キリスト教

自然世界遺産

国土のほとんどが、900〜1500mの高原。西部を流れるザンベジ川が、ジンバブエとの国境にくるとビクトリア滝となります。世界三大瀑布のひとつで、現地名は「モシ・オ・トゥニャ」(雷鳴の轟く水煙の意)。世界遺産に登録されています(1989年)。付近は、動物保護区になっています。
(右の絵は、2005年愛知万博の展示)

歴史

石器時代の遺跡が発見されています 石器時代の遺跡が発見されています。
8〜12世紀ころ、バントゥー語系住民が北から移住し、先住民のサン(ブッシュマン)を追い出し、農耕、牧畜を始めます。
1000年ころ、トンガ・イラ文化がザンベジ川渓谷沿いに栄えます。
17世紀、西からロジ、南からベンバが来て、中央集権的な王国を建設。
イギリス南アフリカ会社の支配から
1924年、直轄植民地に
25年、銅の開発が始まります
19世紀半ば、イギリス人探検家、リビングストンが訪れます。
19世紀末、セシル・ローズのイギリス南アフリカ会社が北ローデシアとして支配。

1924年、会社の独占的支配に対する白人入植者の反感が高まって、住民投票によりイギリスの直轄植民地となります。
25年、銅の鉱床地帯「コッパーベルト」で、本格的な開発を開始。米国系、および南アフリカ連邦・イギリス系の2社が採掘に従事。生産が伸びていきます。

53年、白人入植者が、南ローデシア(現ジンバブエ)、ニヤサランド(現マラウイ)と3植民地で、ローデシア・ニヤサランド連邦を結成。反対するアフリカ人は、アフリカ人民族評議会を結成。
59年、カウンダを党首とする統一民族独立党(UNIP)が、独立を要求しイギリスと交渉。
63年末、連邦は解体。
1964年、独立、UNIPのカウンダが大統領就任
91年、複数政党制の総選挙で
MMDのチルバが第2代大統領に就任就任
1964年、独立して、ザンビア共和国となります。カウンダが大統領に就任。
69年、銅鉱業を国有化。
70年、ローデシア(現在のジンバブエ)への経済制裁措置から起こった輸送の問題を解決するひとつとして、タンザニアまでのタンザン(タザラ)鉄道の建設を中国の援助で開始(75年、完成)。
73年、一党制施行。

90年、複数政党制に移行。
91年、総選挙で
複数政党制民主主義運度(MMD)のチルバが圧勝し、第2代大統領に就任。政権交代もスムーズに行なわれます。
2001年、大統領選挙でチルバ大統領から指名された与党、MMDのムワナワサ候補が第3代大統領に就任(2006年、再選)。



外交

独立後、国連、イギリス連邦、アフリカ統一機構(OAU)(現アフリカ連合)に加盟。反人種主義、非同盟主義を外交の基本とします。南部アフリカの白人支配に対するアフリカ人の解放闘争に対して、「破壊よりも交渉を」という政策で積極的に対応。背景には、銅の輸送路の確保があります。
1994年にアンゴラ和平合意を仲介し、99年にはコンゴ民主共和国の紛争に関する停戦協定のとりまとめを行ないます。



産業・経済

植民地時代からの銅の生産に依存するモノカルチャー経済で、銅の生産量と国際銅価格の変動が経済に大きな影響を与えてきました。脱却するため農業と観光の開発に力を入れています。
コッパーベルトを中心に都市化が進んでいますが、伝統的な自給農耕の生活をしている人々もいます。

農業は、主食のとうもろこし、輸出用農産物のたばこなど。鉱産物には、銅のほか、コバルト(銅の副産物)、亜鉛、鉛、石炭。工業では、食品加工、繊維、建築資料、肥料があります。

主な輸出品は、銅(輸出額の約6割)、コバルト、
相手国は、南アフリカ、マラウイ、日本、エジプト(2003年)。

主な輸入品は、機械類、石油、肥料、電力

相手国は、南アフリカ、中国、英国、タンザニア(2003年)。

日本への輸出品には、銅および銅製品、コバルト等非金属および非金属製品、たばこおよびたばこ製品。
輸入品は、車両(鉄道以外)およびその部品、電気・通信用機器等(2004年)。

主要援助国はドイツ、英国、米国、ノルウェー、オランダ(2003年)。




               Cecil John Rhodes
この人とザンビア [セシル・ローズ]

1853年、イギリス・ロンドンの北、ハートフォードシャー生まれ。
70年、健康を害して、兄のいる南アフリカのダーバンに移り住みます。ダイヤモンド・ラッシュのなか、デ・ビアス・マインズ社を興して、成功します。ラントで金鉱が発見されると、南アフリカ金鉱会社を作り、金鉱山を支配。経済力で政界に進出。


89年、リンポポ川以北の開発と入植を目的に、イギリス南アフリカ会社を設立し、イギリス王室から特許をとり、活動範囲を拡大。アフリカ人の土地を支配します。この地域は彼の名からローデシアRhodesicaと命名されます。

90年、ケープ植民地首相になります。
95年、ボーア人の国、トランスバールの金鉱をイギリスの支配下に置く計画が失敗して退陣。その後、イギリス南アフリカ会社を通して、ローデシアの開発に取り組みます。1902年、ケープで亡くなります。


               
音楽-1枚のCD


幻のヒュー・トレイシー・レコーディング・シリーズ 〜50年代アフリカの音
カリンバ&カルンブ‐ザンビア(北ローデシア)1952&1957
1952年と57年にザンビアの各地で録音された、カリンバの弾き語りとカルンブの演奏が集められたアルバムです。
板きれや木箱の上に並ぶ細長い普通は鉄片のキーを、両手の親指で弾いて演奏するアフリカ独自の楽器、親指ピアノは形態も名前もさざままで、ザンビアでの名前がカリンバ。地域ごとの名称もあるようです。このアルバムでは、板型でひょうたんや空き缶を共鳴器とした形のものを使っています。
カルンブは楽器として使う弓で、金属製の1本の弦を分割し、スティックでたたいて音を出します。ひょうたんの共鳴器がついています。
トンガ人、ロジ人、ルンダ人、ベンバ人、ルブンダ人、ララ人の、すべて男性が演奏する25曲が収められています。


ヒュー・トレイシー(1903-77)は、イギリス生まれ。17歳のときに南ローデシア(現ジンバブエ)に移住し、タバコ農場の仕事に従事しているときに、雇用者のカランガ人の音楽に興味を持ったことがきっかけで、アフリカ音楽の研究に進みます。各地で数多くの録音を行ないます。54年、南アフリカに研究所を創立。60年代、親指ピアノをザンビアの名称、「カリンバ」の名で商標登録をして売り出します。
研究所に保存されている音源から、学術研究用のLPシリーズ「サウンド・オブ・アフリカ」が作られます。99年、オランダで始まった復刻CDが日本でもアオラ・コーポ手ションから発売。


主な参考資料
『アフリカを知る事典』(平凡社)
外務省ホームページ

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