第35回
2006年12月7日(木曜日)はマラウイ
目次
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国のあらましと地図 |
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独立−1964年 国名−マラウイ共和国 Republic of Malawi 面積−11.8万平方キロメートル 人口−1120万人(2004年) |
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自然・世界遺産
アフリカ大地溝帯の南部になり、底部にマラウイ湖などがあります。国土の2割以上が湖面で「湖の国」といわれています。11月から4月の雨季に、年降水量の80%以上が降ります。 マラウイ湖は、アフリカ大陸で3番目に大きな湖(タンザニアとモザンビークでの名前は、ニヤサ湖)。最大深度は706メートル。500種以上の魚類が確認されていて、ほとんどがこの湖の固有種。マラウイ湖国立公園は、世界遺産に登録されています(1984年)。 |
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歴史
マラビ王国が17世紀に最盛期を迎えますが 18世紀以降はアラブの勢力圏に 1891年、イギリスの保護領 |
15〜16世紀に、マラビ(マラウイ)王国が興り、17世紀に最盛期を迎えます。 18世紀以降はアラブ人の勢力圏に入り、奴隷の取引を主とする交易の場となります。 1859年、リビングストンのマラウイ湖「発見」以来、イギリス人宣教師や貿易業者が根拠地を置くようになります。奴隷交易の撲滅を理由に、イギリスが各地を「平定」して、支配権を認めさせていきます。 1891年、イギリスの保護領ニヤサランドが成立。 |
1953年、ローデシア・ニヤサランド連邦設立 63年、連邦離脱を承認させます |
20世紀に入ってから、南部の高地を中心にヨーロッパ人の入植が行なわれます(隣のイギリス領ローデシア−北は現、ザンビア、南は現、ジンバブウエ−に比べると小規模)。 1915年、第1次世界大戦へのアフリカ人徴兵に反対した、キリスト教徒チレンブエによる反乱がおきます。 44年、最初の民族主義政党、ニヤサランド・アフリカ人会議(NAC)が結成されます。 53年、イギリス政府が、ローデシア・ニヤサランド連邦を設立(南ローデシアの白人政府による北ローデシアとの合体の計画に、イギリス政府がニヤサランドを加えます)。 59年、連邦からの離脱と独立を唱えるNACは解散させられます。議長、バンダ(前年、医師として活動していたガーナ帰国して就任)らは投獄。残ったメンバーが、マラウイ会議党(MCP)を結成。 63年、バンダが自治政府の首相に就任。連邦離脱をイギリスに承諾させます。 |
1964年、イギリス連邦内での独立 66年、共和国となります |
1964年、イギリス連邦内での独立を達成。 66年、共和国となります。マラウイ会議党による一党制に移行。 71年、バンダは終身大統領となります。 |
1993年、複数政党制に移行 94年、初めての大統領、議会選挙 |
1993年、国民投票により複数政党制へ移行。 94年、独立後初めての大統領、議会選挙。野党、統一民主戦線(UDF)が第一党となり、ムルジUDF党首が大統領に就任。野党、民主同盟(AFORD)と連立政権を発足(96年、AFORDが離脱)。 99年、ムルジ大統領が再任。 2004年、総選挙が行われ、与党UDFのムタリカ候補が新大統領に当選。 2005年、ムタリカ大統領はUDFから脱退、新党、DPP(民主進歩党)を発足。 |
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産業・経済
農業が中心で、食糧作物は、トウモロコシ、キャッサバ、モロコシ、稲など。 輸出用農産物は、タバコ、茶、綿花、落花生、桐油、コーヒー。 工業としては、繊維、石鹸、製靴、砂糖、ビール、マッチ、セメント。 主な輸出品は、タバコ、砂糖、衣料・繊維製品、紅茶。 相手国は、南アフリカ、米国、ドイツ、エジプト。 主な輸入品は、生産財、石油、資本財、消費財。 相手国は、南アフリカ、ザンビア、インド、タンザニア(2003年) 日本への輸出品には、葉タバコ、食用ナッツ、コーヒー、茶等。 輸入品は、自動車、電気・通信用機器等(2005年) 主要援助国は、英国、米国、ノルウェー、ドイツ、日本(2004年)。 大分県で始まった「一村一品運動」による地域産品振興に取り組んでいます。 |
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文化・世界遺産
中部の高地、樹木で覆われた花崗岩の丘にあるチョンゴニ岩石芸術地域は、2006年、世界遺産に登録されました。中央アフリカで最も岩絵が集中する地域です。後期鉄器時代から、この地に住むチェワの農民が、20世紀まで描いたもので、いまでも儀式と結びついています。 |
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