第33回

2006年9月21日(木曜日)はウガンダ

目次

国のあらましと地図
自然・世界遺産
歴史
産業・経済
文化・世界遺産
教育
/いろいろ情報

独立−1962年
国名−ウガンダ共和国 
     Republic of Uganda 
面積−24.1万平方キロメートル
(陸地面積 19.7万平方キロメートル)

人口−2590万人(2004年)
首都−カンパラ Kampala (人口121万人−2002年)

住民−ガンダ、テソ、アンコレ、ソガ、チガ、ランゴ、ギス 他

主な言語−英語(公用語)、ルガンダ語(第2公用語)、
        スワヒリ語
       

宗教−キリスト教(カトリック、プロテスタント)
     伝統宗教、イスラム教

自然世界遺産

アフリカ大陸の裂け目、大地溝帯の一部、西リフトバレーが西部を南北に走り、アルバート湖など、細長く深い湖が連なります。この地帯にあるルウェンゾリ山地は、古代エジプトでナイルの源流と考えられた「月の山」といわれています。

東部には、東リフトバレーに伴うエルゴン山などがあり、東西の隆起の間の盆地に、水深80mのビクトリア湖があります。

ルウェンゾリ山地国立公園と、マウンテンゴリラをはじめ11種の霊長類の住むブウィンディ原生国立公園が世界遺産に登録されています(1994年)。




歴史

1500年ごろに成立したブニョロ王国が
17世紀前半まで繁栄
後半以降、ブガンダ王国が強大になります
15世紀ごろ、神話的な存在の、パチュウェジ王朝などが興ります。
1500年ごろ、ビト王朝が追い出して、ブニョロ王国を造り、1650年ころ、もっとも繁栄。
17世紀後半以降、対抗していたブガンダ王国が強大になります。
18世紀、インド洋沿岸との通商路が開かれ、アラブ商人がやってきます。
1860年代にイギリスの探検家が来訪
1894年、イギリスの保護領になります
1860年代にイギリスの探検家が訪れ、その後にキリスト教の布教が始まります。
1980年代末、イスラム教徒とキリスト教徒の間に、宗教戦争が起こり、キリスト教徒が優位にたちます。

1890年、東アフリカをめぐって争っていたドイツとの協定で、イギリスはウガンダを勢力範囲とし、帝国イギリス東アフリカ会社の統治下におきます。同社は、ブニョロ王カバレガの抵抗にあい、イギリス政府に責任を追うよう要請。
1894年に、イギリスの保護領になります。


1900年、ブガンダ王国は、イギリスとの協定で1州の自治を許され、その半分に私有制を導入。
01年、イギリスによりインド洋岸からビクトリア湖岸まで鉄道が開通。03年から始まった綿花栽培が広がります。

1949年、土地問題をめぐるブガンダ王国指導層への不満、インド人による綿花買付独占への反感から、暴動が発生。
52年、民族主義政党が設立されます。党内の王党派の勢力が強まったため、脱党した人たちが、59年にウガンダ人民会議(UPC)を、王党派も、61年に政党を創設。
1962年、独立
66年から85年の間
たびたびクーデターで政権が交代
1962年、イギリス連邦の国として独立。女王が元首、UPC党首、オボテが首相。
63年、共和制に移行し、ムテサ2世(ブガンダ王)が大統領に選出されます。

66年、オボテ首相によるクーデター。翌年、大統領に就任。
69年、事実上の一党独裁になります。
71年、陸軍司令官、アミンによるクーデター。翌年、ウガンダ国籍を持たないインド系などを国外追放し、彼らの財産を没収。反対派の弾圧、虐殺を行ない、国際的は非難の的となります。
78年、アミンの軍隊がタンザニアの国境地帯を占領した後、タンザニア軍とウガンダ民族解放戦線がウガンダに侵攻。79年、カンパラに入り、アミンは国外に逃亡。
79年、暫定政権が発足したが、内部対立やクーデターが起こります。

80年、総選挙で、オボテが大統領復帰。しかし、復興は進まず、反政府ゲリラ組織、国民抵抗運動(NRM)掃討作戦では、国軍に残虐行為があり、国軍も分裂の傾向。
85年、総司令官、オケロがクーデターを起こし、軍事政権を樹立。
1986年、ムセベニが大統領に就任
政治改革、経済再建に取り組みます
1986年、ムセベニが率いるNRMがカンパラを攻略。ムセべニが大統領に就任。
地方に評議会システムを導入し、行政の一部を担わせる政治改革を実行。
1987年、世界銀行、国際通貨基金(IMF)、援助国の支援で構造調整政策を積極的に推進。
1988年、北部地域で、反政府組織、主の抵抗軍(LRA)が政権に対して、戦闘を始めます。
2006年、複数政党制下の選挙で
ムセベニ大統領が三選

96年、新憲法による、大統領・国会議員選挙。ムセべニ大統領当選。
2000年、複数政党制導入を問う国民投票が実施。現行の「国民抵抗運動」システムが支持を得たため、導入は見送られます。
2001年、ムセべニ大統領再選(3月)。
2005年、国民投票により複数政党制に戻ることが決まります。
2006年、複数政党制下で、大統領・国会議員選挙。ムセベニ大統領三選。
2006年8月、反政府組織「主の抵抗軍(LRA)」と停戦合意。



産業・経済

農業が中心で、主要な食糧作物は、プランティンバナナ、シコクビエ、モロコシ、キャッサバなど。
輸出向けは、コーヒー、綿花、紅茶。
コーヒーは、ビクトリア湖周辺で産するインスタントコーヒー向けのロブスタ種が主ですが、高山地帯でのアラビカ種も栽培しています。

鉱業では、銅、燐鉱石、タングステン、工業では、繊維、タバコ、セメント。

主な輸出品は、コーヒー、魚、紅茶、金、タバコ、電力で、
相手国は、ケニア、スイス、オランダ、ベルギー、フランス(2004年)。

主な輸入品は、石油・石油製品、自動車、穀物、電化製品で、
相手国は、ケニア、インド、アラブ首長国連邦、南アフリカ、中国(2004年)。

日本への主な輸出品は、生鮮魚類(ナイル・パーチ)、採油用種子、タバコ、コーヒー豆で、
輸入品は、乗用車、トラック、機械。
日本からシャツ縫製の企業などが進出しています。 




文化・世界遺産

ブガンダ、ブニョロなどの王国がウガンダの文化の中心を作りました。オボテ大統領のときに、王家は廃止されますが、1990年代に復活。現在は、文化的指導者となっています。

カンパラ市内、カスビにある大きな草葺きの建物の中にまつられる、ブガンダ王国歴代国王の墓 は世界遺産 (2001年)



教育

小学校7年、中学4年。高校は2年、大学が3年。授業で使うのは英語が原則。小学校1年から3年までは、ルガンダ語などなどの母語を使うことが許されていますが、4年からは英語のみでの授業になります(カンパラでは、1年生から英語で教育が行なわれる場合が多い)。
1922年、東アフリカ唯一の高等教育機関として、カンパラにマケレレ大学が設立されました。





主食のひとつは、プランティンバナナ(料理用バナナ)の「マトケ」を蒸してつぶしたもの。マトケは緑色の固い皮に包まれていて、生は手でむくことはできず、味も苦くて酸味があります。



いろいろ情報

(特活)アフリカ日本協議会 食料安全保障研究会公開セミナー「アフリカの都市に対する食料供給問題−ウガンダにおける実態調査より」が9月28日(木)に東京・上野で開催されます。


主な参考資料
『アフリカを知る事典』(平凡社)
外務省ホームページ
『AEF通信』(1996年7月、9月)
『ウガンダ 美しい冒険』(UTB ウガンダ観光局)
ウガンダ野生保護局発行の冊子

 ご意見・感想・情報をお寄せください。
Eメール mokuyobi@tam2.co.jp

「木曜日はアフリカ」ホームに戻る

「タムタム工房」ホームに戻る