第30回
2006年3月9日(木曜日)はルワンダ
目次
国のあらましと地図 |
★
独立−1962年 国名−ルワンダ共和国 Republic of Rwanda 面積−3万平方キロメートル 人口−841万人(2004年) 主な言語−フランス語、キニアルワンダ語、英語、スワヒリ語 |
![]() |
★
自然
キブ湖(湖面標高1460m)のある西の国境近くは、アフリカ大地溝帯の低地。その肩部は、カリシンピ山(4507m)をはじめ、多くの火山が噴出しています。分水嶺となっていて、西斜面はコンゴ(ザイール)川水系、東側はナイル川水系に属します。その東に高原が広がります。 アフリカの中では、降水量に恵まれています。 北部の、コンゴ民主共和国とウガンダの国境近くに、霊長類でもっとも大きい、漆黒のマウンテンゴリラが生息しています。 |
★
歴史
18世紀以降、ルワンダ王国が影響力を拡大 | 紀元前は、さまざまな言語を話す人たちが住んでいましたが、バンツー系言語を話す人が生産力を拡大して、その言語文化が支配的になってきます。 そこから、農耕、あるいは牧畜に重きをおいた集団が現れてきます。 14、15世紀(あるいはそれより後の時期)、ルワンダ王国が成立。 18世紀以降、ルワンダ王国が影響力を拡大します。 19世紀、王国中心部で、ツチ(牧畜)の支配のイデオロギーが広まっていきます。 |
ドイツ領を経て、ベルギー領になります | 1899年、ブルンジとともにドイツ保護領となります。 1916年、ベルギーが占領し、後にベルギーの国際連盟委任統治領になります。 第2次大戦後、ベルギーの国際連合信託統治領。 植民地期に、ヨーロッパの人種観にもとづいて、ツチ、フツの区分が用いられるようになります。 59年、フツとツチの武力衝突が起こります。多数のツチが殺害され、また国外に逃亡します。 60年、フツ解放運動党が結成。ベルギー政府、カトリック教会の支持を受けたツチ支配層と衝突。 61年、立法議会の選挙で、カイバンダが指導するフツ解放運動党が勝利。同時に行なわれた住民投票では、王制廃止と共和国樹立が承認されます。 |
1962年、共和国として独立 |
62年、ルワンダ共和国として独立。カイバンダが大統領に就任。 63年、ブルンジに避難していたツチの侵入を機に、フツがツチを大量虐殺。 73年、クーデターで、前国防相のハビャリマナが大統領に就任。議会とフツ解放運動党を解散。 75年、ハビャリマナ大統領は、新しい党、開発国民革命運動(MRND)を組織。 78年、単一政党制。 87年、ルワンダ愛国戦線(RPF)がウガンダ国内で結成。 |
94年、大量虐殺が発生 その後、大量の難民が周辺国に逃れます |
90年、RPFがウガンダから侵攻。内戦が勃発します。 91年、複数政党制。 92年、極端なフツ中心主義のCDR(共和国望遠同盟)が結成。MRND青年部が民兵を組織。 93年、和平協定調印。しかし、履行に反対するフツの急進派勢力による、マス・メディアを通じた反ツチ扇動が激しくなります。 94年、4月、ハビャリマナ大統領とブルンジ大統領が乗った飛行機が撃墜され、両大統領は死亡。これをきっかけに大虐殺が発生、約30万人の難民が逃れ出ます。7月、ツチのルワンダ愛国戦線(RPF)が全土を制圧、新政権をうちたてます。ビジムング大統領が大統領に就任。100万人以上の難民(旧政府勢力も含む)が周辺国に流出します。 98年、コンゴの内戦に軍を派遣(2002年まで)。 2000年、ビジムング大統領が辞任。副大統領のカガメが大統領に就任。 |
★
大量虐殺に対する裁判
ルワンダ国際刑事法廷(ICTR) |
1994年11月、国連安保理がルワンダ国際刑事法廷(ICTR)の設置を決議。95年、2月にタンザニアのアルーシャに設立されました。94年1月1日から12月31日の間に行われた虐殺行為とその他の暴力行為について、責任のある個人の訴追を目的としています。メディアや性暴力への関与も、罪の重大さを決める重要な要素とされています。 97年1月から、実際に開廷。99年までの第1期に、カイバンダ前大統領を含む7人に判決が下りました。第2期(99〜2003年)には14人に刑が言い渡され、2005年5月までで、23人に判決が下されています(有罪は20人、無罪は3人)。 |
「ガチャチャ」裁判 |
2002年6月、未処理の件数が多いため、地域共同体で容疑者を裁くことを目的に、政府が設置。 「ガチャチャ」は、もともとは地域にあったもめごとを解決するための集会ですが、新しい「ガチャチャ」は西欧の司法制度に近く、ルワンダ最高裁判所と司法省が管轄。死刑判決はありません。 2002年10月、住民の投票によって約26万人の「裁判官」が選出され、法律、裁判官としての倫理、心的外傷カウンセリングなど数日間の基本研修を受けました。試験的に設置された746か所の裁判 は、脅迫、法律家による支援の欠如、また刑事・司法制度に対する信頼の欠如といった要因で、進みませんでした。8140か所では、2005年まで延期になり、10万人を超える被疑者が裁判の実施を待つことになりました。2005年3月に再開。 2002年9月の傍聴報告が、アフリカ平和再建委員会(ARC)のウェブサイトに掲載されています。 http://www.arc-japan.org/jp/activity/rwanda/gacaca_report1.htm http://www.arc-japan.org/jp/activity/rwanda/gacaca_report2.htm |
★
産業・経済
人口密度が高く、労働人口の90%が農業に従事しています。多くは、小規模の農地を所有。主要の食糧作物は、プランティンバナナ、キャッサバなどで、国内需要。 主な輸出農産品は、コーヒーと茶。農民の大多数は、家畜も飼育し、牛と皮革が輸出されています。鉱業ではスズなどを産出。内陸国のために輸送費が高いのが問題。 80年代、構造調整計画を実施しましたが、内戦勃発以来はマイナス成長で、94年の大虐殺で壊滅的打撃を受けました。 その後、農業生産は回復し(98年には内戦前の水準)、援助もあり、99年までにGDPは内戦前の水準に回復(96-2000年の平均GDP成長率は10.0%)。98年にはIMF(国際通貨基金)の3年間の構造調整計画を行ないます。 主な輸出相手国は、インドネシア、ドイツ、中国、ベルギー、南アフリカ。 主な輸入品は、資本材、半加工品、エネルギー財、消費財、主な相手国は、ケニア、ベルギー、米国、ドイツ、南ア(2003年) 主な援助国は、イギリス、米国、ベルギー(2002年) |
★
4つの表現だけのキニアルワンダ語レッスン
おはよう | ムラムツエ |
元気ですか | アマクル |
元気です | ニメーザ |
ありがとう | オラコーゼ |
○特定非営利法人アフリカ日本協議会(AJF)の会報『アフリカ NOW』
No.72(2006年3月5日発行)で、特集記事「ルワンダ:ジェノサイドから12年を経て」が掲載されています。 ○映画「ホテル・ルワンダ」は、東京ほかで上映中です。 ○道祖神が、「ルワンダ・ゴリラトレッキング 7日間」(2006年8月24日、東京・関西発)のツアーを企画しています。 |
ご意見・感想・情報をお寄せください。
Eメール mokuyobi@tam2.co.jp