第29回

2006年3月2日(木曜日)はタンザニア

目次

国のあらましと地図
自然・世界遺産
歴史
産業・経済
文化・世界遺産
いろいろ情報−写真展

独立−1961年
国名−タンザニア連合共和国 United Republic of Tanzania 
面積−95万平方キロメートル

人口−3520万人(2002年)
首都(法律上)−ドドマ(人口約76万人) Dodoma
*実質的首都機能
−ダルエスサラーム(人口約250万人)
         Dar es Salaam

住民−スクマ、ニャムウェジ、マコンデ、ハヤ、チャガ 

主な言語−スワヒリ語、英語

宗教−イスラム教キリスト教、伝統宗教

自然・世界遺産

本土には、アフリカ大地溝帯の東部帯と西部帯が走り、マラウイ湖(マラウイとの国境線。タンザニア名はニヤサ湖)の北で、2つが合います。

東部帯は、北部にアフリカの最高峰、キリマンジャロ山(5895m)をはじめ火山が並びます。西部帯には、タンガニーカ湖など大きな湖があります。
南西部は比較的湿潤で、北東部は草原とブッシュの林。

国土の3分の1が国立公園や動物保護区で、4か所の世界遺産があります。TBS『世界遺産』のサイトで紹介
(セルーのみスライド・ショーが見られます)

大きなカルデラの中に広がる平野、ンゴロンゴロ自然保護区(1979年)
http://www.tbs.co.jp/heritage/archive/20020616/onair.html

ヌーの移動で有名なセレンゲティ国立公園(1981年)。
http://www.tbs.co.jp/heritage/archive/20020825/onair.html

セルー野生動物保護区(1982年)は、広さはアフリカ最大。中心に大きな川があり、ゾウやカバなど大型哺乳類の生息数が最大。
http://www.tbs.co.jp/heritage/archive/20050925/onair.html
http://www.tbs.co.jp/heritage/archive/20051002/onair.html

そして、キリマンジャロ国立公園(1987年)。
http://www.tbs.co.jp/heritage/archive/20040718/onair.html

歴史

人類の揺りかごの地 約200万年前、原人が北部で暮らす(オルドバイ渓谷で発見された骨から、人類の揺りかごの地とみなされるようになります)。
紀元1000年までに西から鉄器文化をもったバントゥー系が進出。
15世紀ころ、北部からナイロート系遊牧民が侵入。インド洋沿岸部には、ペルシア人、アラブ人が、キルワなどの商業都市を建設。
19世紀、ザンジバルは 19世紀初め、本土の内陸部の多くの小国家が誕生。
1840年、ザンジバル島にアラビア半島のスルタンが本拠を移し、象牙や奴隷を得るため内陸部への隊商を奨励します。
1890年、内陸部はドイツ領、ザンジバルはイギリス保護領に。
1920年、第1次世界大戦後、本土部もイギリスの委任統治領になります
1961年、本土部、タンガニーカが独立
64年、ザンジバルと合邦し連合共和国に
61年、本土部、タンガニーカが独立。
62年、共和制に移行し、ニエレレ首相が大統領に就任。
63年、ザンジバルが、アラブ主導の内閣のもと、スルタンを国王として独立。
64年、ザンジバルで、アフリカ系を主体とするクーデター。タンガニーカとザンジバルが合邦して、タンガニーカ・ザンジバル連合共和国が発足。同年、タンザニア連合共和国に国名を改めます。
67年、アリューシャ宣言
ウジャマー社会主義を推進
67年、伝統を重んじた共同体的社会主義のアリューシャ宣言を採択。3段階で、農村の共同化から、農業生産の大規模化、近代化を図る「ウジャマー村」政策を打ち出します。
78年、ウガンダのアミン政権の軍隊が西部の国境地帯の占領に対して、タンザニア軍はウガンダ民族解放戦線(UNLF)とともに、ウガンダに侵攻。
79年、ウガンダの首都、カンパラに入り、アミンは国外に逃亡。
80年代、農業生産は低下し、農場集団化から個別農園強化に政策が移行。
83年、新農業政策では、個別農園を重視することを確認します。
70年代末のウガンダとの戦争や
干ばつの影響などで経済の危機的状況に
86年、IMF・世銀・の支援で経済改革に着手
85年、ニエレレが引退し、代わってザンジバル出身のムウィニ大統領を選出。
86年、国際通貨基金(IMF)・世界銀行の勧告を受け入れ、構造調整と経済自由化を進めます。
92年、複数政党制を導入。

95年、ムカパ大統領選出。
2000年、再選。選挙で、ザンジバルにおいて政治的対立が生じ、初の難民が発生する事態となります。
2005年、キクウェテ大統領選出



産業・経済

国内総生産の半分は農業(メイズ、キャッサバ、米、豆類、コーヒー、綿花等)。キリマンジャロのコーヒーは世界的ブランド。
かつては、「スパイス・アイランド」として知られたザンジバルでは、今もクローブの輸出が群を抜いています。ほかに、ココヤシからとるコプラ
(果実の胚乳を乾燥させたもtの)、やし油(コプラを圧縮。マーガリン、石けんの材料があります。

規模は小さいですが、鉱業(金やダイヤモンド)、工業(サイザル麻、タバコ等の農産物加工)があります。
観光業も伸びています。

75年、ダルエスサラームからザンビアのカピリ・ムポシ
(首都ルサカの200km北)まで、延長1859kmの鉄道−略称、タザラ鉄道(日本ではタンザン鉄道で知られています)−が中国の援助により完成します。タンザニアとザンビア両国政府共同所有の公社が運営。

主な輸出品は、鉱物、製造物、タバコ、カシュ−ナッツ、コーヒー。主な相手国は、イギリス、フランス、日本。
主な輸入品は、消費財、産業資材、機械、石油。主な相手国は、南アフリカ、日本、インド(2002年)。

日本への主な輸出品は、コーヒー豆、白身魚、ゴマ、繊維製品、蜜ろう。
輸入品は、自動車、機械製品、鉄製品。

主な援助国は、イギリス、日本、オランダ。 




文化・世界遺産

国語の「スワヒリ」は、アラビア語の「サーヒル=海岸」に由来。東アフリカの海岸の交易拠点で、アラブ商人たちと地元のバントゥー諸語を話す人々との接触で、混交言語(ピジン言語)として成立しました。

「スワヒリ」文化は、アラブの様式がアフリカの生活に混合したインド洋沿岸の独特の文化で、世界遺産に2か所登録されています。

キルワ・キシワニとソンゴ・ムナラの遺跡群 (1981年、文化遺産) は、都市国家「キルワ・キシワニ(島のキルワ)」の大建造物の残骸があります。TBS『世界遺産』で紹介。
http://www.tbs.co.jp/heritage/archive/19980628/onair.html

ザンジバル島のストーン・タウン(2000年)は、迷路のように入り組んだ、石造りの町並み。彫刻を施された重厚な扉の家々があります(右の写真は、2005年愛知万博で展示されたザンジバル様式の扉)。
http://www.tbs.co.jp/heritage/archive/20041031/onair.html

モザンビークの国境に近い高原に住むマコンデの人々は、黒檀を使った彫刻で知られています。人物を積み重ねるように彫ったものは家族の絆を表わし、「ウジャマー」と呼ばれます。



いろいろ情報

タンザニアの旅の写真展を紹介

阪本悦子写真展「アフリカ紀行」
3月15日(水)3月20日(月) 午前11:00〜午後7:00(20日は3:00まで)
京セラ コンタックスサロン・京都 http://www.kyocera.co.jp/company/map/cx-kyoto.html


主な参考資料
『アフリカを知る事典』(平凡社)
外務省ホームページ

 ご意見・感想・情報をお寄せください。
Eメール mokuyobi@tam2.co.jp

「木曜日はアフリカ」ホームに戻る

「タムタム工房」ホームに戻る