第28回

2006年2月26日(木曜日)はシエアラレオネ

目次

国のあらましと地図
自然
歴史
産業・経済
ダイヤモンドの話
音楽

独立−1961年
国名−シエラレオネ共和国 Republic of Sierra Leone 
面積−7万平方キロメートル

人口−約530万人
首都−フリータウン (人口 約183万人) Freetowm

住民−メンデ、テムネ 

主な言語−英語、メンデ語、テムネ語、クレオール語(英語と西アフリカ諸語の混交)

宗教−イスラム教キリスト教、伝統宗教

自然

北部から東部は丘陵地帯。ギニアとの国境近くは、標高2000mほどの峰もある山地になっています。
15世紀、ポルトガル人が、フリータウンの後方の山に雷が鳴るのを聞き、ライオン山地、Serra Lyoaとよんだことが、国名の由来と言われています。

歴史

1787年、解放奴隷のための入植地建設
1808年、イギリスの直轄植民地になります
15世紀後半、ポルトガル人がやってきて、奴隷、象牙などの交易を行ないます。
1787年、イギリスの奴隷廃止論者が解放奴隷のための入植地を建設。その後、フリータウンと名づけます。カナダ、西インド諸島などから、解放された奴隷が送られます。
1808年、フリータウンをイギリスが直轄植民地とし、奴隷貿易を取り締まる海軍の基地をおきます。
1896年、内陸部も保護領とします。
1961年、イギリス連邦の一員として独立
1961年、イギリス連邦の一員として独立。
71年、共和国になります。
78年、新憲法を制定、単一政党制国家になります。
86年、モモ大統領就任。
1991年、反政府勢力との内戦が始まります
2002年、国家非常事態の終了宣言
91年、反政府勢力、革命統一戦線(RUF)が、元陸軍伍長、サンコーの指揮で、リベリア国民愛国戦線(NPFL)の支援を受けてリベリア国境から侵入。南部、東部で政府軍との交戦状態に入ります。
同年、複数政党制を導入した憲法に改正。
92年、軍事クーデター。ストラッサー大尉を議長とする暫定政府発足。

96年、民政移管を訴えるビオ准将による無血クーデター。大統領選挙と議会選挙を実施し、カバ大統領が就任。
97年、コロマ少佐による軍事クーデターが発生。コロマがサンコーと連合して、軍事革命評議会議長を設置し、国家元首に就任します。
98年、西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)停戦監視団(ECOMOG)が首都に上陸。軍事革命評議会が駆逐され、カバ政権が復帰。
99年、和平合意が成立。国連安保理は「国連シエラレオネミッション(UNAMSIL)」の派遣を決定。元兵士の武装・動員解除、及び社会復帰が展開されます。

2000年、革命統一戦線(RUF)がPKO要員500名を拘束、緊張が高まります。ECOWAS諸国の仲介により政府とRUF間で停戦合意。翌年、武装解除の実施方法について合意が成立。
2002年、カバ大統領が武装解除完了、そして国家非常事態の終了を宣言。大統領・国会議員選挙を実施。カバ大統領が再選されます。



産業・経済

主な産業は、ダイヤモンド、金鉱石(チタンの材料)等の鉱業と農業(コーヒー、カカオ)。
約10年も続いた内戦により鉱物資源の輸出が停止し、社会的インフラが大きな損害を受けるなどで、経済は大きく停滞しています。

主な輸出品は、 鉱物(金鉱石、ダイヤモンド、ボーキサイト等)、カカオ、コーヒーで、相手国は、ドイツ、イギリス、米国
(2003年)。
主な輸入品は、機械、輸送機器、食料品、鉱物、燃料で、相手国は、ドイツ、イギリス、フランス、米国
(2003年)

日本への主な輸出品は、魚(冷凍)、貴石、ダイヤモンド、輸入品は、鉄鋼板(めっき)、乗用自動車、貨物自動車、モーターサイクル、液体ポンプ。
     
主な援助国は、米国、英国、オランダ、イタリア。




モノがつなぐアフリカと日本
ダイヤモンドの話

シエラレオネのダイヤモンドは、砂礫層の下にある鉱床(漂砂鉱床)で採掘しやすく、また、高品質です。

90年代末、アンゴラの状況と同様、シエラレオネの反政府勢力、革命統一戦線(RUF)が、ダイヤモンド生産地を支配し、密輸で得た資金で武器を調達していることが内戦の長期化につながっていると、国際的に問題になりました。

2003年1月、この「紛争(地)ダイヤモンド」の輸出入を規制するために、ダイヤモンド原石の取り引きに関する国際認証制度、キンバリー・プロセスが発足し、日本も参加。輸入には輸出国政府の発行するキンバリー証明書(紛争ダイヤモンド非該当証明書)の添付、そして輸出には経済産業省発行の輸出承認書とキンバリー証明書及び容器への封印が必要となります。また、参加国以外との輸出入は禁止されています。

2000年8月から日本では、
シエラレオネのダイヤモンドに対して、必要な輸入承認制(当面全面禁輸)の措置がとられていましたが、2003年6月、承認の対象除外になりました(2006年1月現在、リベリアとコートジボワールが輸入禁止措置)。

ダイヤモンドの流通

鉱山・鉱床で<原石>を採掘
オーストラリア、コンゴ民主共和国、ロシア、ボツワナ、南アフリカ、ナミビア、アンゴラ、シエラレオネ ほか


ロンドン(英国)のデ・ビアスのグループ会社
(*1)
           世界の<原石>の約8割が集められます(約2割は別の流れ)

*1 1881年、イギリス人、セシル・ローズが南アフリカでデ・ビアス鉱山会社を設立、88年にキンバリー鉱山会社を合併し、デ・ビアス合同鉱山会社となります。
1930年、ドイツ系ユダヤ人、アーネスト・オッペンハイマー(アングロ・アメリカン社の設立者)が会長に就任し、ダイアモンドの生産から販売まで統制する機構を作ります
現在のグループは、デ・ビアス合同鉱山、ダイヤモンド生産者組合、ダイヤモンド・コーポレーション(各国から原石を購入)

ダイヤモンド・トレーディング・カンパニー(DTC。生産者組合から購入。販売)、工業用ダイヤモンド販売会社、アングロ・アメリカン投資信託会社


デ・ビアスがDTCを通じて行なう販売会「サイト」
(*2)
                               <原石>を売買(デ・ビアスからは独立しているオープン・マーケットもあります)

*2  以前は中央販売機構(CSO)の名前で開催。年10回
参加資格をもつ「サイトホルダー」(原石ディーラーまたは大手研磨業者)約80社が買い付けます。うち日本は1社

                  
                                    
研磨
ニューヨーク(米国)、アントワープ(ベルギー)、テルアビブ(イスラエル)、ボンベイ(インド)、ヨハネスブルグ(南アフリカ)が5大カッティングセンター


世界16か所(*3)にある「ダイヤモンド取引所」(*4)
<裸石>を取引

*3 アントワープ 4か所、ニューヨーク 2か所、テルアビブ 2か所、ロンドン 2か所
パリ(フランス)、ミラノとベニス(イタリア)、アムステルダム(オランダ)、イダー・オベルスタイン(ドイツ)、ヨハネスブルグ(南アフリカ)
*4 8000人(社)のメンバーで構成


卸業者

製造業者

<宝飾品>に加工

輸出・輸入業者

輸出・輸入業者
製造卸業者
<宝飾品>に加工

複数の卸業者
小売店
消費者



音楽

S. E.. ロジー
アフリカで最初のポピュラー音楽といわれてる、「パームワイン・ミュージック(やし酒音楽)」で知られている歌手。

「パームワイン・ミュージック」は、20世紀のはじめ、フリータウンやリベリアのモンロビアの酒場で、ギターと簡単な打楽器を伴奏に歌われるようになったといわれています。1930年代には、レコードも出ています。50年代、エベネーザ・カレンダが、ギターに、小型ギター、チューバ、コンガ、マラカス、トライアングルなどを加えて、カリプソ、ブラジル音楽、ジャズ、カントリーなどの要素を融合させたパームワイン・ミュージックを演奏。

S. E. ロジーは、1926年、生まれ。母親が歌手で、その手ほどきを受けて演奏活動を始め、音楽家からギターを学び、60年代にレコードを発売。65年には、バンドを結成します。

72年に渡米し、アフリカ文化を子どもたちに教える教育プログラマーとして活動するかたわら、演奏活動を続けます。77年に「African Lady」、79年に「Mother Africa」というLPを発表。

88年、イギリスへ渡ります。音楽家で、批評家としても知られるデイヴィッド・トゥープの後押しを受けて、89年にCD「パームワイン・ミュージック」を発表。アコースティック・ギターに簡単なパーカッションが加わったシンプルな編成。30、40年代から歌い継がれてきた古い歌も何曲かとりあげ、生活や教訓、愛の大切さなどをやさしく語りかけるように歌います。
 
91年に発表した「ニュー・サウンズ・オブ・S. E. ロジー」は、エレキ・ギター、ベース、サックス、トランペットなどが加わった編成。94年の「デッド・メン・ドント・スモーク(マリファナ)」は、
前の2つのアルバムの中間的なスタイルです。CD発表の直後に、心臓発作で亡くなります。


主な参考資料
『アフリカを知る事典』(平凡社)
外務省ホームページ
on-line-diamond.com
JTCホームページ

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