第25回

2006年2月2日(木曜日)はマリ

目次

国のあらましと地図
自然
歴史
産業・経済
文化・世界遺産
音楽
マリを知る本とウェブサイト

独立−1960年
国名−マリ共和国 Republic of Mali 
面積−124万平方キロメートル

人口−1341万人(2003年、国連人口基金)
首都−バマコ Bamako (人口約100万人、1998年)

住民−バンバラ、フルベ(プール)、ソンガイ、ドゴン、トゥアレグ

主な言語−フランス語(公用語)、バンバラ語、フルフルデ語
ソンガイ、タマシェク(トゥアレグ)語 

宗教−イスラム教、伝統宗教、キリスト教

自然

ニジェール川が大きな弧を描いて流れ、内陸デルタを形成しています。北部はサハラ砂漠。南縁のサヘル地帯では砂漠化が問題になっています。

歴史

サハラを縦断する交易でガーナ王国
マリ帝国、ソンガイ王国が繁栄
8〜12世紀にガーナ王国、その後15世紀までマリ帝国が、サハラを縦断する隊商による交易で繁栄します。南からは金、北からは岩塩が中心。マリ帝国の最盛期、マンサ・ムーサ王は、メッカに華やかな巡礼を行ないます。
次のソンガイ王国を、1591年に滅亡させたモロッコの支配が約1世紀続いた後、18世紀以降は、小王国が割拠する時代になります。ギニア北東部から出たセク・トゥーレ、中北部のトゥクロールのハジ・ウマルなどの王国は、進出してきたフランス軍に敗退。
1892年、フランス領スーダンとして
植民地化
1959年、独立運動の指導者は
マリ連邦を提唱

1892年、フランス領スーダンとして、植民地化された後、フランス領西アフリカの一部となり、1920年、現在のマリの領域が確定されます。
1959年、独立運動の指導者、モディボ・ケイタは、フランス共同体内で、スーダン共和国を宣言。59年には、セネガル、オートボルタ(現、ブルキナファソ)、ダホメー(現、ベニン)を含めた、マリ連邦の結成を提唱しますが、2国が抜け、セネガルとの2国になります。
1960年、セネガルと2国の連邦で独立
壊れて
単独のマリ共和国として独立
1960年、セネガルとともに連邦として独立。対立から壊れ、あらためて単独でマリ共和国として独立。
68年、トラオレによる軍事クーデター。79年、大統領に就任。一党制国家となります。

90年、トゥアレグにおる反乱
91年、民主化運動が起こります
90年、北部でトゥアレグによる自治権を求める反乱が起こります。
91年、民主化の要求が高まり、騒乱状況になったところに、アマディ・トゥマニ・トゥーレがクーデターで、暫定政権を立てます。
92年、複数政党制を認める新憲法が成立。大統領選挙で、アルファ・ウマル・コナレが選出され、97年に再選されます。
2002年、大統領選挙で、トゥーレが選出されます。



産業・経済

主要な産業は、農業(綿花、落花生、粟、ソルガム)、鉱業(りん鉱石、金、および岩塩)、畜産、工業。

主な輸出品は、綿花、金、家畜で、輸入品は、機械、石油製品、消費物資
貿易相手国は、輸出は、イタリア、タイ、ブラジル、韓国で、輸入は、コートジボワール、フランス、セネガル、ドイツ(2000年)。
日本への主な輸出品は、綿(摘み取った状態)、敷物、採油用の種で、輸入品は、自動車、タイヤ。進出している日本企業はありません。

主な援助国は、フランス、オランダ、米国、日本、ドイツ。




文化・世界遺産

14〜16世紀に栄えた交易都市のトンブクトゥは、モスクや大学が造られ、宗教、文学、科学といった文化の中心ともなりました。当時の3つのモスクが今も残っています。世界文化遺産(1988年)。

ニジェール川とバニ川の中州にあるジェンネも交易で栄えた町。泥の大モスクと月曜市で知られています。世界文化遺産(1988年)。

バンディアガラ山地(モプティの東)に住むドゴンは、体系づけられた神話と、象徴的な意味をもつ仮面を伝えています。世界複合遺産(1989年)。

ソンガイ王国の中心だったガオには、アスキア王の台形のピラミッド型の墓が残っています。文化遺産(2004年)。



音楽

世界的に活躍しているミュージシャンが多い中で、2人の歌手と1つのグループを紹介します。
サリフ・ケイタ
1949年、バマコ郊外のジョリバで、マリ帝国の祖、スンディアタ・ケイタにたどりつく家系に、アルビノ(先天性白皮症)というハンディをもって生まれます。音楽の道に進もうと、バマコに出て、政府が支援するレイル・バンドやアンバサドゥールに参加。その間、アメリカのソウルやロックのほかキューバ音楽に触れ影響を受けます。80年には、ニューヨークでアルバムを出します。

84年、パリ郊外のマリ人地区モントリウルに移住。チャリティー・アルバム『タム・タム・フォー・アフリカ』にキング・サニー・アデ、ユッスー・ンドゥールなどと共に参加し、名を知られるようになります。87年にエレクトロニクスを活用しながら、マリの伝統形式を浮かび上がらせるメジャー・デビュー作、『ソロ』を出します。88年、ヨーロッパ・ツアーで成功を収め、ロンドンで行なわれたネルソン・マンデラを讃えるコンサートにも客演し、国際的な評価を確立します。92年に出したアルバムでは、『アメン』では元ウェザー・リポートのジョー・ザビヌル、カルロス・サンタナなどが演奏しています。

97年、バマコにスタジオを設立。若手の育成にもあたっています。現在は、バマコ郊外のクラブ「モフー」を拠点に活動し、週末にはライブを行っています。また、90年に、「SOSアルビノ」を主宰し、支援活動も行なっています。

ロキア・トラオレ
1974年、マリの南西部に生まれます。父親が外交官で、アルジェリア、サウジ・アラビア、フランスなどで暮した経験があります。マリの音楽に親しむ一方で、ジャズに大きな影響を受けた彼女は、高校時代にラップ・グループで歌う機会を得て、そのときにギターを弾き始め、作曲もするようになっていきます。

97年、フランス国営ラジオ局の賞を受賞、また、フランスのアングレームで開かれたワールド・ミュージック・フェスティバルに参加。98年、デビュー・アルバム『ムネイサ』を出します。2000年、『ワニータ』の発売に合わせて、アメリカ・ツァーを行ないます。

ンゴニ(4弦の小型ギター)、バラフォン(共鳴用にひょうたんがついた木琴)、ギタ(半割りのひょうたんをスティックでたたく楽器)と民俗楽器を多用して演奏しています。

ティナリウェン
北東部出身のトゥアレグのグループ。トゥアレグはベルベル系の遊牧民で、かつて隊商の交易を担っていましたが、その活動地域は、独立時にマリ、ニジェール、アルジェリア、モーリタニア、リビアなどに分割されます。1973〜4年の大干ばつで、遊牧の生活を離れざるをえなくなった人の中に、リビアのキャンプで革命の指導を受ける若者たちがいました。そこで触れた、ボブ・マーリーやジョン・レノン、ボブ・ディランなどの音楽の影響を受け、1979年にティナリウェンが生まれます。トゥアレグの伝統音楽にエレクトリック・ギターのサウンドを導入し、女性コーラスを加えた独自のサウンドを作ります。

90年、マリとニジェールで起きた政府とトゥアレグの武力グループの衝突では、「戦士たちのサウンド・トラック」だったそうです。その後、歌詞は社会的な視点を盛り込んだ「魂の革命」に変わっていきます。97年、バマコでフランスのグループ、ロ・ジョと出会ったことから、サハラ社会の再建を目指す組織「EFES」を結成し、2001年、トンブクトゥ地方で砂漠のフェスティバルを主催します(以後、毎年開催)。同年、最初のアルバム『The Radio Tisdas Sessions』の録音後、ヨーロッパ各地でツァーを行ないます。2003年、バマコで録音し、フランスでミキシングしたアルバム『アマサクル』を出します。

                         参考資料:  テインアリウェン『アマサクル』(オフィス・サンビーニャ)



マリを知る本とウェブサイト

アマドゥ・ハンパテ・バー 著/樋口裕一・山口雅敏・冨田高嗣 訳
『アフリカのいのち 大地と人間の記憶/あるプール人の自叙伝』

新評論 
作家であり、歴史家、哲学者、民族学者、詩人、そして語り部であるアマドゥ・ハンパテ・バー(1900-91年)の自叙伝の第1巻(原題『プール人の子アムクレル』)

主人公の祖父母の生い立ちから物語は始まります
(第1章 ルーツ)。モプティの東、バンディアガラで主人公は生まれます。両親は離婚し、母が再婚(第2章 カディジャ、私の母)。継父が逮捕され、移送された南部の生活(第3章 流刑)。故郷に戻って、コーラン学校に通い(第4章 バンディアガラへの帰還)ますが、区長の策略で白人学校に送られ、フランス語を学びます。兄の死と大飢饉に出合います(第5章 白人学校にて)

両親が移っていったバマコの北に行き、新しく作ったグループでのリーダーとして威厳を考え、内緒で割礼を受けます。学びながらフランスのセネガル現地人歩兵連隊の郵便部係助手として働きます
(第6章 カティ、軍隊の街)。フランス軍の庇護で権力を誇っていたサンサンダング王国の王子と知り合い、理解しあうようになります。バマコで職業訓練学校を卒業、ウアガドゥグに臨時雇用の下級官吏として赴任する主人公と母の「河岸での別れ」で終わります(第7章 バマコ、最後の学業)

「・・・クリコロの砂山は少しずつ遥か彼方へと消え失せていった。
私は前方へ向き直った。小船の舳先が、この古い河の、絹のようにしなやかで透き通った水を二つに裂いて進んで行き、その河の流れが私たちを運んで行った。それはまるで私を待ち受けている未知なる世界のほうへ、私の人生の大冒険のほうへと、急いで私を連れて行こうとしているかのようであった」


筆者は、32年まで隣国、オート=ヴォルタ(現、ブルキナファソ)のワガドゥグ(本書ではウアガドゥグ)で暮らし、その後、マリや隣国で公務員、通訳、秘書を務めます。42年頃からブラック・アフリカ・フランス学院の仕事をし、51年にはユネスコの給費生として1年間フランスに留学。何度かの渡仏で、フランスの海外ラジオ放送などにかかわります。マリに戻り人文科学協会を設立。会長を務めながら、プール人の伝承文学などの研究に携わり、数々の物語の発掘・紹介にあたりました。他に翻訳書には、『ワングランの不思議』(石田和巳訳、リブロポート)があります。

サヘル・ネット
http://sahelnet.org/blog/sahelnet/
1995年に生まれたウェブサイトで、現在は「砂漠」「マリ」「サヘル」などのカテゴリーに分かれるブログを中心とした形。トピックと国別に分かれた西アフリカのリンク集(マリは10)と、アフリカ関係のブログのまとめ(マリは9)があります。また、隊商や砂漠の井戸、暮しの写真を見ることができます。

MALI web
http://maliweb.info/
2002年にできた、マリ共和国を紹介するサイト。リンク集の「マリ関係 日本編」に、マリや日本で活動しているNGOも紹介されています。トピックスでは、サッカーの予選の結果なども載っています。

FAN3(ファン・サバ)
http://www5d.biglobe.ne.jp/%7Efan3/
西アフリカの音楽や舞踊を通じてその社会にも目を向けよう、と呼びかけるNPOのサイト。2002年、03年に招聘したマリ国立民族舞踊団の紹介ページがあります。

主な参考資料
『アフリカを知る事典』(平凡社)
外務省ホームページ

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