第24回
2006年1月26日(木曜日)はセネガル
目次
国のあらましと地図 |
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独立−1960年 国名−セネガル共和国 Republic of Senegal 面積−20万平方キロメートル 人口−1034万人(2003年、国連人口基金) 主な言語−フランス語(公用語)、ウォロフ語、セレル語 宗教−イスラム教、キリスト教、伝統宗教、 |
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自然
北の国境をセネガル川が、南部をガンビア川が流れています。北部は半砂漠で、南は熱帯雨林となり、中央はサバンナ気候。ダカールのあるベルデ岬は、沿岸流の運ぶ土砂の体積による島で、陸につながっています。 |
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歴史
15世紀、ポルトガル 16世紀、オランダ 17世紀、フランスが交易の拠点を置きます |
北アフリカとの交易で栄えるセネガル川流域に、1000年ごろ成立したテクルール王国の支配者が、11世紀にイスラム化します。 13〜14世紀に、中央部から沿岸にかけて、ウォロフ(ジョロフ)王国が成立しますが、16世紀半ばに分裂。 15世紀、ポルトガルが沿岸各地に、16世紀にオランダ人がゴレ島、17世紀、フランス人がサン・ルイに交易の拠点を置きます。ガンビアに拠点を置いたイギリスとフランスがこの地を奪い合った結果、1814年、フランスがゴレ島も獲得します。 |
19世紀、フランスの植民地に | 19世紀、フランスは本格的に植民地化を進め、1895年に、サン・ルイを主都にフランス領西アフリカを形成します。 1902年、主都が移されたダカールは、政治、経済、文化の中心となります。 03年、抵抗が続いていた南部のカザマンス地方を平定。 58年、フランスの第五共和政憲法により、フランス共同体内の自治共和国となります。翌年、隣の自治共和国、スーダン共和国(現、マリ)と合邦します。 |
1960年、マリ連邦として独立しますが解体 セネガル共和国として独立 82年、ガンビアとセネガンビア連邦を発足 89年に解体 |
1960年6月、マリ連邦として独立しますが、2か月で解体。 8月、あらためてセネガル共和国として独立。初代大統領にサンゴール(詩人、学者でもある)が就任します。 66年から、セネガル進歩同盟(UPS)の一党制をとります。76年、政党数を3党に限定した多党制に移行し、UPSはセネガル社会党に名称を変更。 80年に、サンゴールが引退して、首相のディウフが大統領に就き、81年、完全な複数政党制にします。 同年、隣国ガンビアで起きたクーデターに軍事介入し、これを機に、82年、ガンビアと合邦し、セネガンビア連邦が発足。89年に解体します。 |
社会党の40年の長期政権から 2000年、民主党に政権交代 |
2000年の大統領選挙で、変革を求める声を背景に、ワッド・セネガル民主党(PDS)党首が当選。2001年の国民議会選挙、2002年の地方議会選挙でも、与党連合勝利を収めて、1960年以来40年間続いた社会党政権からの政権交代が完了します。 南部カザマンス地方では、一部住民が結成した「カザマンス民主勢力運動」(MFDC)による分離独立運動が武力闘争化し、不安定な状態が続いています。2003年、ワッド大統領が指導者、ディアマクン神父と直接会談。2004年、和平合意が発表されましたが、不安定な状況です。 |
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外交
旧宗主国フランスとの協調を基軸としつつも、多くの先進国とも友好関係を構築。 アラブ諸国との伝統的な絆があり、また、非同盟運動G15やG77グループでの活動を通じ、第三世界諸国との関係も強く、 アフリカ連合 (AU)、西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)といったアフリカ地域機関へも積極的に関与。 ワッド大統領は、「アフリカ開発のための新パートナーシップ(NEPAD)」策定においてイニシアティヴを取ります。 国連平和維持活動についても、イラク・クウェート、西サハラ、コンボ、シエラレオネ、コンゴ民主共和国、中央アフリカ等の活動に参加しています。 |
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産業・経済
主要な産業は、農業(落花生、粟、綿花)と漁業(マグロ、カツオ、エビ、タコ)。 観光業も盛んです。奴隷貿易の拠点として栄えた、「負の世界遺産」のゴレ島(1978年に登録)とサン・ルイ島(2000年)という文化遺産に加えて、ニオコロ・コバ国立公園とジュッジ国立鳥類保護区(ともに1981年)の自然遺産があります。 主な輸出品は、魚介類、肥料、落花生製品で、輸入品は、食料品、石油製品、機械設備など(1999年)。 貿易相手国は、輸出は、インド、フランス、イタリア、マリで、輸入は、フランス、ナイジェリア、タイ、イタリア(2000年)。 日本への主な輸出品は、水産物(軟体動物、魚、フィレ)、採油用の種で、輸入品は、保存用船舶、ブルドーザー。 進出している日本企業は8社(2005年10月)。 政府は、2015年までに貧困を半減させることを目標に、2000年に中間「貧困削減戦略文書」(PRSP)を採択し、2002年には最終版PRSPを策定。 主な援助国は、フランス、米国、日本、ドイツ。 |
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セネガルのこの人 [ユッスー・ンドゥール]
1980年代のワールド・ミュージック・ブームに火をつけたシンガー、パーカッション奏者。 59年、ダカールで、音楽を伝承する「グリオ」の家系に生まれます。 15歳でセネガルのトップ・グループ「スター・バンド」に入り歌手として注目されます。79年、バンド「エトワール・ドゥ・ダカール」を結成。マリをはじめアフリカの国々やフランスなどで演奏旅行をすると共にレコーディングを開始。キューバ音楽からの影響とグリオの伝統などを溶け合わせ、独自の音楽路線を歩み始めます。 85年、ピーター・ガブリエルやポール・サイモンを迎えたアルバム『ネルソン・マンデーラ』を発表し、また、初のニューヨーク公演を行ないます。ヴァージン・レコードと契約し、『ザ・ライオン』(1989)を制作。スティングやブルース・スプリングスティーンらとのコンサートによって、世界的な評価を受けます。 90年代に入ると、ジャズ系のブランフォード・マルサリスやネナ・チェリーを迎えた『ザ・ガイド』を発表。98年は、ワールド・カップ・サッカー・フランス大会の公式讃歌を担当します。 80年代から人権問題や債務帳消しを求める運動などに取り組み、2003年には、米国のイラク攻撃準備に抗議して、予定されていた全米コンサートツアーを中止します。 |
ばんざい★セネガル http://banzaisenegal.gozaru.jp/ |
セネガルに住む作者が、「セネガルの概要」から生活までを取り上げて紹介。 ウォロフ語、プラー語(フルベの言語)のあいさつや、魚料理「チェブジェン」、ピーナツベースのソースをご飯にかける「マフェ」といった料理の作り方も載っています。 |
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