第23回

2006年1月19日(木曜日)はガボン

目次

国のあらましと地図
自然
歴史
産業・経済
この人とガボン

独立−1960年
国名−ガボン共和国 Gabonese Republic 
面積−27万平方キロメートル

人口−129万人(2001年)
首都−リーブルビル Libreville

住民−ファン、エシラ、アドゥマ、オカンデ、バコタ

主な言語−フランス語(公用語)、ファン語

宗教−キリスト教(カトリック、プロテスタント)、伝統宗教イスラム教

自然

赤道直下にあり、国土の3分の2に熱帯雨林が広がります。海岸線は、入江が多く変化に富んでいます。

歴史

15世紀末、ポルトガル人が河口の丘の形を見て
「ガバオン(フードつき外套)」
と呼びました
15世紀末に、ポルトガルが進出。河口の丘の形を見て、「ガバオン(フードつき外套)と呼びました。奴隷貿易などを行ない、キリスト教を布教します。
16世紀ごろ、ファンがカメルーンから移ってきます。農耕とともに、交易も行ないます(用いていた鉄貨は有名)。
19世紀、フランスの植民地に 19世紀、フランスが勢力を伸ばして、半ばに解放奴隷の町として、「リーブルビル(自由の町)」を建設。1890年に植民地とします。
その地、フランス領赤道アフリカの一部となります。
1958年、フランス共同体内の自治共和国として独立。
1960年、独立
30年の長期安定政権
1960年、独立。
64年、軍事クーデターでムバ大統領が一時的に失脚。フランスが軍事介入して復権。
67年に就任したボンゴ大統領は、翌年、事実上の一党制を法制上に変えます。
90年、複数政党制が導入されます。同年の選挙では、与党が過半数。
2001年、ボンゴ大統領は内政の安定を重視し、野党の入閣を前提とした「開かれた内閣」を提案。翌年、野党4党を含めた内閣が発足した。
2003年、憲法改正が行われ、大統領の再選回数制限が撤廃されました。

産業・経済

1986年、熱帯雨林を分断するパン・ガボン鉄道が完成。開発が進みます。

サハラ以南では、ナイジェリア、アンゴラ、赤道ギニアと並ぶ産油国。石油輸出国機構(OPEC)から、94年に脱退を表明(96年に承認)。
2000年の一人当たりGNI(国民総所得)(3,160ドル)は、セーシェル、モーリシャス、ボツワナに次ぐ高い水準です。

財政収入の約55%が石油関連で、石油依存型の経済構造が弱点。政府は、林業、鉱業マンガン、ウラン、鉄鉱石、観光業の振興に力を入れています(「ナショナル ジオグラフィック 日本版」のウェブサイトに国立公園の情報が掲載されています。http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/feature/0309/index.shtml )。
最近は木材の需要が減少し、経済不振に直面しています(右の写真は、2005年、愛知万博の展示から)。

主な輸出品は、原油、木材、マンガン鉱等で、輸入品は、機械・機器、食料品・農産物、自動車等(2003年)。
貿易相手国は、輸出は、米国、フランス、中国、日本、輸入は、フランス、米国、英国、オランダ(2003年)。

日本への主な輸出品は、原油、木材、マンガン鉱、魚で、輸入品は、貨物自動車、乗用自動車、バス、ブルドーザー、トラクター。



この人とガボン [A. シュワイツァー]
            1875-1965

当時はドイツ領だったエルザス(アルザス)に生まれ。シュトラスブルク(ストラスブール)大学で哲学を学んで博士号を取得したあと、J.S.バッハの研究とパイプ・オルガンの演奏に傾倒し、また神学を研究。1902年、同大学講師となります。
1905年、パリ・バッハ協会を設立した年に、霊的衝撃を受け、医学の修業に入って、13年、看護士の妻と、当時のフランス領赤道アフリカ(現、ガボン)のランバレネに渡ります。病院を建てて、医療活動を行ないます。その後、文明論の著作があります。


主な参考資料
『アフリカを知る事典』(平凡社)
外務省ホームページ

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