第22回
2006年1月12日(木曜日)はコンゴ共和国
目次
国のあらましと地図 |
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独立−1960年 国名−コンゴ共和国 Republic of Congo 面積−34万平方キロメートル 人口−385万人(2004年、世界銀行) 主な言語−フランス語(公用語)、コンゴ語、テケ語、リンガラ語 宗教−キリスト教(カトリック、プロテスタント)、伝統宗教 |
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自然
南北に長い国土の中央を赤道が走っています。コンゴ(ザイール)川とその支流ウバンギ川をはさんで、東岸のコンゴ民主共和国と接しています。東側はコンゴ盆地の一部で、中南部に低い山地があります。1年中高温で、短い乾季があります。 |
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歴史
コンゴ王国やその属国が領土を拡大 |
ピグミーと呼ばれる狩猟採集民が住んでいた地域に、バントゥー系の民族が移住。 コンゴ王国や、その属国、ロアンゴ王国などが領土を広げます。 15世紀末、ポルトガルが進出し、奴隷貿易が盛んに行なわれます。 |
フランス領赤道アフリカの主都が ブラザビルに定められます |
19世紀の末、フランスは探検家、ブラザを派遣して勢力を伸ばし、ベルリン会議でこの地域の領有が認められます。 1910年、チャド、ガボン、ウバンギ・シャリ(現、中央アフリカ)と統合されて、フランス領赤道アフリカとなり、主都がブラザビルに定められます。 20年代、コンゴ・大西洋鉄道の建設で、労働者が徴発されて、人口移動が起こります。 58年、フランス共同体の中の自治共和国になります。 |
1960年に独立後 親西欧から、社会主義 そして軍部左派主導と変わります。 国名が、コンゴ人民共和国に改まり また戻ります |
1960年、コンゴ共和国として完全独立。初代ユールー政権は新西欧路線をとります。 63年、マサンバ・デバが左派的な政権をたて、64年には社会主義の一党体制。 68年、ングアビ少佐が政権を握り、翌年大統領に就任。その後、軍部左派主導の政治で、大統領が交代していきます。 70年、国名がコンゴ人民共和国に改められます。 79年、サス・ンゲソ大統領が就任。 91年、複数政党制を導入。コンゴ共和国に国名を変更します。 92年、バルカル・リスバ大統領選出(現職のサス・ンゲソは、第1回投票で第3位)。 |
97年、大統領と前大統領の間で 戦闘が勃発。 2003年、和平合意がされ 治安回復の兆しがあります |
93年、下院選挙をめぐって、与野党間の対立が激化。95年、和平合意。 97年、リスバ大統領、サス・ンゲソ前大統領の間で戦闘が勃発。アンゴラ軍が介入後、サス・ンゲソ派がほぼ全土を掌握。大統領に就任します。 98年、「統一と国民和解に関するフォーラム」が開かれましたが、前政権の民兵と政府軍との間で再び武力衝突が発生。 99年、政府軍と民兵との間で敵対行為停止合意が署名され、旧民兵の武装解除が行なわれます。 2001年、旧反政府勢力を含めた「除外なき国民対話」が実施されます。 2002年、新憲法草案に関する国民投票。大統領選挙でサス・ンゲソ大統領が当選します。国民議会、上院議員選挙を実施。政府軍と一部反政府民兵との間で散発的な戦闘が続いていましたが、翌年、和平合意に署名。治安は回復の兆しがあります。 |
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産業・経済
主要産業は石油をはじめとする鉱業と農林業。輸出収入の約8割、国家予算の約7割は石油に依存しています。 主な輸出品は、石油、木材、砂糖で、輸入は石油関連品、資本材(2004年)。 貿易相手国は、輸出は、中国、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)、米国、フランスで、輸入は、フランス、米国、ドイツ、イタリア(2004年)です。 日本への主な輸出品は、コバルト(製錬したマット)、木材、魚で、輸入品は貨物自動車、鉄鋼板、発電器(電動機付)。 |
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コンゴを知るホームページ
竹内潔の研究室 http://www.hmt.toyama-u.ac.jp/bunjin/staff/Takeuchi/Tak_top.htm |
富山大学人文学部教員の竹内さんが、北東部などに住む狩猟採集民アカの生活、社会と文化などを紹介。ポリフォニー(多声音楽。それぞれの独立した声部が対等の比重で入れ替わり立ち替わり現れ、絡み合いながら進行していく音楽形式)を聴くことができます。また、首都ブラザビルの写真(ギャラリー「アフリカの風景」)も掲載されています。 |
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