第20回

2005年7月28日(木曜日)はチャド

目次

国のあらましと地図
自然
歴史
産業・経済
スーダン難民

独立−1960年
国名−チャド共和国 Chad
面積−128万平方キロメートル

人口−839万人(2001年)
首都−ンジャメナ(人口61万人2003) N'Djamena

住民−サラ、トゥブリ、カネンブ 他

主な言語−フランス語(公用語)、アラビア語、サラ語をはじめ7つの民族語

宗教−イスラム教、キリスト教、伝統宗教

自然

西端にある、アフリカで4番目に大きいチャド湖は、雨季と乾季で面積が大きく変わります。
地球観測利用推進センターのウェブサイトので、「「サハラ沙漠の湖、チャド湖を訪れる緑のじゅうたん」として、写真が紹介されています。
http://www.eorc.nasda.go.jp/imgdata/topics/2004/tp041220.html

国土のほとんどが平らな低地。機構は、北部は砂漠、南部はサバンナ、中央はステップ。

歴史

9世紀から19世紀まで
北部は、カネム・ボルヌー帝国の版図
9世紀、チャド湖の北東に建国されたカネム・ボルヌー帝国が、北部を版図とします。
同国は、11世紀末にイスラム教を国教とします。南部の住民を奴隷にとります。

17世紀、東部に成立したワダイ王国などとともに、19世紀末、スーダンの奴隷商出身の軍人、ラービフに征服されます。
1900年、フランスが支配 1900年、フランスがラービフを倒して、支配。10年にフランス領赤道アフリカのチャド州となります。
フランスは、南部で綿花などを栽培。教育が南部で進みます。
1960年に独立してから
北部と南部
後には北部の2派の間で
内戦が続き
89年に終結しました
1960年に独立。トンバルバイエ大統領のチャド進歩党(PTT)は、サラを中心とした南部に基盤。
63年に一党体制となります。66年、南部中心の是正や北部の文化的平等などを求めて、北部で民族解放戦線が組織され、闘争が激化していきます。鉱物資源の豊かなアオズ地域の領有をめぐって対立していたリビアは解放戦線を支援。対抗するため、政府はフランスに派兵を求めます。


75年に軍部のクーデターで、マルーム将軍が政権を握ります。解放戦線も、グクーニ派とハブレ派に内部分裂。78年、グクーニ派が国土の北半分を支配。ハブレ派は中央政府と、マルームを大統領とする連合政府をたてますが、崩壊します。

79年、北部が優位にたった暫定国民連合政府ができ、グクーニが実権を握ります。

80年から2派で内戦。

82年、ハブレ派が新政府を樹立。南部の政治家も多く閣僚に登用。
83年、リビアの支援をえたグクーニ派が北部地域から南進。その後、撤兵協定が結ばれても、リビアはアオズ地域にとどまります(94年、国際司法裁判所の決定を受け入れて撤兵)。

89年、ハブレ政権と旧グクーニ派のチャド愛国戦線(FTP)と停戦。FTPも入る新内閣が発足。
90年、デビ元国防相がリビアの支援を得て、首都を攻略。ハブレは亡命。91年、デビが大統領に就任。

96年に新憲法を国民投票で採択。複数政党制での大統領選挙でデビが大統領に選出されます(2001年に再選)。

産業・経済

南部ではおもに農業、北部では牧畜が行なわれています(右の絵は、土で作った穀物倉庫)。

南部には埋蔵量10億バーレルと言われる石油資源があり、2003年、カメルーンのクリビ港までの石油パイプラインが貫通。日量10万バーレルの生産を開始しました。
北部のアオズ地域のウラン鉱は、開発が遅れています。

輸出品は、綿花、畜産物、アラビアゴムなど(2000年)。相手国は、1位が米国、2位がドイツ。
輸入は、1位はフランス、2位が米国。



スーダン難民

スーダン西部ダルフール地方の紛争で、2003年2月以来、非アラブ系の住民、百数十万人が家を失い、20万人がチャドに逃れてきました。

難民は当初、南北600kmの国境に点在。アラブ系民族の民兵組織「ジャンジャウィード」による越境攻撃にさらされていたため、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)は50km内陸に設置したキャンプに移送しました
(現在、キャンプは11か所。UNHCRのウェブサイトに所在地の地図が掲載されています)。
http://www.unhcr.ch/cgi-bin/texis/vtx/home/opendoc.pdf?tbl=PUBL&id=401159eca&page=publ

難民キャンプがあるビルティン州、ワダイ州の住民は、スーダンのダルフール地方と民族としては近く、チャドの内戦時、スーダンに逃れ出て、戻ってきた人たちもいます。
年間300から400mmの降雨で、植生も限られている地域で、キャンプ設置から時間が経過すると、燃料用の木をめぐり、受け入れには友好的だった地元住民と難民との間にいさかいも出てきています。

NGO、緑のサヘルは、3か所のキャンプで、植林、改良カマドの普及、死亡が続く家畜の処理といった活動を続けています。また、ユニセフが仮設の学校を運営。難民が帰還できる日まで、さまざまな支援が必要とされています。しかし、難民の受け入れをめぐって、政権への不満が増大し、チャドの内政の不安材料のひとつとなっています。


主な参考資料
『アフリカを知る事典』(平凡社)
外務省ホームページ
『小松義夫・世界のおもしろ住宅』(松下電工 汐留ミュージアム)
緑のサヘル活動報告会資料(2005年3月10日)「チャド共和国スーダン難民キャンプ及び周辺地域における環境保全活動」

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